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半分

七月になるとたいてい
「今年ももうあと半分」
ということを言う。

もう一週間経つのか、今日はそんな事を考えながら珍しく小説なんかを読んでいた。小説は読むのに時間がかかるから、そして余りに時間を贅沢に使ってしまうようで普段は読まない。食事や睡眠のように本もまた習慣に近いもので、おれは基本的にノンフィクションな方が栄養バランスが良い。いってみればフィクションはカロリーが高い。
なにより、話がある意味ではちゃんとしているのでちゃんとしていない自分と比較してなんだか疲れる。今日読んでたのはノルウェイの森。余りにメジャー過ぎてまともに読む気すら余りでないほどだ。春樹さんの本は以前海辺のカフカを読んだくらいで、そもそも日本の小説家で生きている人のものはほとんど読んだ事が無い。春樹さんのは読むのに時間がかからないからほんの気まぐれ程度に読んでた。

ただ、おれは人に興味があっても個人への興味は余り強くないので小説で何が言いたいのかは余り考えない。行間も読まないし、書かれた以上の事を想像もしない。勿論、気になるフレーズや背景のように知識として有用だと判断すれば自分のインテリジェンスと結びつけたりと発展する事はある。稀に。

しかし、こう暑いと集中して本を読むのがしんどくなってくる。たいてい座椅子かチェアに座って本を読む。素材は表面のファブリックと中身のウレタンなので熱がこもって非常に不快なのである。直に座ると床のコンクリが痛い。立って本を読んでいるのが一番快適といえばそうなのだけど、何か落ち着かない。

それに最近は気分的にも余り落ち着かない。それは今年が後半に入ったからというのも無くはない。気温の変化をグラフにすると上に凸の弧を描く。その像と同じく、夏が過ぎれば気持ち的にも下っていく。下っていくこと自体は俺にとって別段悪い事ではない。ただその変局点、ピークの前後はまるで相転移の前後のような不安定さを感じる。そこに夏の暑さという熱がエントロピーを増大させる効果があるのかはわからないが、少なくとも脳は多少の秩序を失っている。

一応断っておくと情緒不安定のような事ではない。わかりやすく言えばブレーキが熱を持って利きにくくなるとか、DレンジではなくNレンジでアクセルを抜くといったことだ。

思うに、人間というのはネガティブな事の方が受け入れ確率が高い傾向にある。だから、もう半分という言い方になる。まだ半分でも良いのに。おれはネガティブでもポジティブでもどっちでも良く、半分という事実だけを認識したい。ポジティブが正しいようにどや顔で言われると残念な気分になる。そういうのを信じて人はネガティブというもう半分を忘れ、挙句原理主義的になってしまう。そんな気がしてならない。
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