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再生

物心がついてから、誕生日を忘れたことはなかった。
特に忙しいこともないけれど、今日初めて忘れていた。

朝起きて食後、祖母に祝いをもらった時に気付いた。
「ああ、俺今日誕生日か」と。



連想記憶で思い出すことが多くなってか、周りに自分のことに関わる情報源が少ないと、誕生日のような個人情報は引き出すことが余り無くなる。

12/9が自分の誕生日だと察するのが、脊髄反射的にこない。


生まれて一番最初に背負うものは血と誕生日と、早ければ名前である。一生ついて回るけど、後々で証明出来るのって血くらいのもの。俺は9でも0時前後に生まれたらしいので、もしかしたら8かもしれないし10かもしれなかった。名前も人のさじ加減だから、いろんな証明書に名を連ねてるけど何故か不安定な感じがする。

結局、人が定めたものでは人の何たるかまでは左右出来ないわけだ


だからといって、俺を祝ってくれようとする稀な善意を無下にはしないし、
逆に自身で感謝の意を周りに示すべきじゃないかと思う。

今は比較的平和な日本で、ある程度の命は確保されている。そんな中で年を重ねる事自体そんなに祝うに値しないものかもしれない。ただただ人は習慣のままに声に出し、形にしたり、生きていると言う実感をその時々に植えている。

生まれたその日は誕生日だけど、その後は記念日的なカウントアップが始まり、同時に死へのカウントダウンも始まっている。


楽しかったり苦しかったりも生きた心地の中でしか生まれない感覚だから、死ぬと思って苦しむよりか、死ぬと思って楽しむよりか...


まあ、死ぬまで生きてることがどういうことかはわからないし、わかるころにはもうこの世にこの身は無いだろう。

考えても仕方ない。

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