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神への制裁

自分が客となった時に、荒ぶる神の如き振舞いを見せる人間がいる。

金を払った上でサービスを受けている間はしゃーなし神でいてもいいだろう。
しかし、払う前はその行為を許さじ。



ある日、何となくお店で買い物をしていて、サービスが悪いだの値段を下げろだの言ってる年寄りを見つけた。金を払う前の段階なので客側がエラそうに言う権利はないし、気に入らないなら他で買えと思っていた。店員も時間を拘束され、通常の買い物客の邪魔になる。納得しない客はよそへやった方がトータルでプラスになるとしか思えないんだけど、量販店ではあまりそういうのを見かけない。図体がでかくなっても、店頭でやる事は個人商店と大差が無いように見える。

それがそもそもの間違いで、量販店はフロント(店頭)での値下げの手間を省くために大量に仕入れているのではないのかと。それなのにフロントの対応を個人商店ばりにするから値引きしろという発想がぬぐいされないで、出来もしない値引きをせがまれたり、その店舗レベルではどうにも出来ないサービスの部分を融通利かされそうになる。

また自分が払う金の価値の分だけ等価でサービスがくるんだから、安いなりに対応するのは普通。貧乏人にはコンシェルジュなんて必要ない。

こんなのが蔓延する原因は偏に客を甘やかした社会の責任で、言わばだだをこねる子どもの言う事をずっと聞いてきたようなものである。サービスが一級品だとか褒められて日本人は喜んでるのかもしれないけど、金を払えないやつにはそんなサービスはしないという事をもっと言った方がいい。

今はネットもあるし、田舎でもない限り店なんて選べる。本なんかを探すにしてもamazonをはじめとした検索速度を超える本屋さんはいない。年寄りみたいな非効率な選択肢をもった人間のためにベターなチョイスをしている人間がその余波を受けるのは容認しがたい。

老害とはよく言ったもので、年寄りなんてのはパソコンの影響でアーカイブとしての役割が無くなったから、どこにその尊敬をもってくるのかって言うのがとても難しい。当然、おれは全員が全員役立たずの老人だと言っているわけでは無い。けれど、圧倒的多数の老人がそれより下の世代の迷惑になっているとは思っている。そして、少なくない何割かはその自覚すらない。己の身の程がわかってないからうっとうしさ百倍なのである。

どこかのだれかが伸びる業界として環境と介護を挙げていたけど、介護なんか伸びるのがいい社会だとはどうしても思えない。高福祉の社会がいいとも思わないし、金もないのにそれを実現する必要もない。どれだけ次の世代に負荷をかければ満足するのか。それを必要とする世代の責任は己でとれ。そんな世代がどうなろうとおれの知った事でもなければ社会のせいでもない。

まあ、おれはそんなバカで低俗な迷惑を人にかけるような人生だけは送らないようにしよう。

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