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a lunar eclipse

26日の晩に、月食が見れるそうですね。

いつぞやは日食を初めて見て、見え方は朧げながら久々に少年のような感覚が蘇った気がした瞬間でした。昼を食うという表現もあるくらいで、日光に弱いおれからすれば悪魔の仕業であっても歓迎出来る物です。

なまじ、科学的な事で証明出来てからは神も立場を危うくしましたけどね。皮肉な事に太陽と月が織りなす現象と並べて、神や悪魔の如く対比する陰陽相対原理みたいなものが生まれたのは、人の感性の、いや創造力のなせる技なわけですね。



世間では神を崇拝する者もあれば逆に悪魔を崇拝する者もあり、お互いがその関係を支えています。にもかかわらず敵がはっきりする事で己の正義を揺るぎないものにしようという、そういうところはイマイチ受け入れれません。が、確実なよりどころがないと不安になる人は少なくないんだと思います。その点において何も崇拝しない人は自分の中によりどころがあったり、周りの人にそういう人がいるってことでしょう。もちろん、仏教のように安易に神を出してこない思想もそれに近い部分があるかもしれませんけど。

月はそれこそ太陽がなければ輝く事もないです。しかし、月がある事で日食も月食もあるわけです。太陽の日常性より月の非日常性はおれの好むところです。また、朝方や夕方に見える月はその存在を認識し、尚かつその表面の様子も確認出来ます。太陽は眩し過ぎて直視出来ません。


人をしてニートと言う

何もしてないって言うと微妙ですが、何してる人って聞かれて職業を一番最初に出すのも違和感があります。なにより生きている。子どものときこそそんなことを言ってキャッキャ言いそうですけど、生きるためにとった手段にたまたま職があっただけで、それを全てと思う意識の低さの方に問題があります。


太陽はただ燃えているだけです。別に月を輝かせるためでも地球に陽を届けるためでも、ましてや人を暖めるために生まれたわけじゃありません。人はいつから存在理由なんてのを勝手に決めれるほど賢くなったのかと思います。誰かが上手く当てはまる言葉を作ったからそればかり取り上げる、このことをバカの一つ覚えと言うのではなかったか。




今日は太陽も月も見えそうにないですが、あいにくの雨なのか恵みの雨なのか

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