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とある四月の嘘日和

三月が終わるということは今日から新学期/年度を迎えるところが多いわけですが、日本中ほとんどが一斉に更新すると日本全体の機能が低下するなんて事はないんでしょうか。つまり、日本というマシンに会社というCPUが積まれていて、いろんな人の行動というアプリをタスクやジョブとして放り込んでいくようなもの。これだととても効率が悪い。いくら効率よく作った高速道路も人の非論理的な行動によりただの駐車場に変わるのがいい例。



四季があるように、更新のタイミングも四回くらいあってもおかしくない。少なくとも二回はないとどうにも。生まれ月の性能差も幾分か解消出来るし。

会社は決算がいつになってるかで多少自由が効いてるようにも思えるけど、メインはやはりこの時期。日本の学校なんか秋に入学なんて聞いたこともない。くだらない儀式とか手続きが好きな人種にはなかなか理解出来ない感覚なんだろうけど、あんな大層な入学式とか、入社式をはじめとした強制イベントはもはや時代に合ってない。大勢の人というクラスターは流動性の低い状況くらいしか意味をなさない。誰も意見しないあたりまだ日本は流動性が低い集合なのだろう。そして、その「まだ」という遅れこそが年々ブリックスやネクストイレブンに抜かれていく要因になる。

今、巷では貯金額の引き上げでわーわー言うとりますが、もともと貯め込むのが好きな人種にもっと貯め込めと言ってもお腹いっぱいにならないだろうか。それに貯める原資はあるのだろうかと。貯めても国債に消えたり、インフレで価値が無くなったりって事があるのに、どうしたいのか。日本はお金を刷ってないだけなのに。


さる小学生のとき貯金にはまっていたことがあったけど、増えも減りもしないのになぜ人に預けているのかよくわからなかった。その時は郵便局が近所だったから郵便局に貯金しにいってたんだけど、そのお金を運用して郵便局は金儲けをしていると親に教わった。ピュアな俺は、いやピュアだった俺はじゃあ預けないで自分で運用したら駄目なのかと思っていた。しかし、同時期に、親父が株を買うのは金持ちだけだと豪語してたからそう言うものだと思って諦めもしていた。よく考えれば、投資もしてないし経済にも詳しくない人間のいうことに納得していた俺が悪いんだけど、少なくとも親(や人にものを教える立場の人)というものは手前勝手な感情を挟んでものを言ってしまうと原理的にそれが正しいと思ってしまう人がいることを考慮する必要がある。小さいと判断出来るほど情報が頭にないからね。

どっかの統計でも出てたけど、保険の期待値って宝くじと同じくらいか、なんだったら低いそうで。保険ビジネスもカジノビジネスも胴元が儲からないとやっていけない。ふつうっちゃふつう。まあ、信じてるうちは本質なんか見えてんのかわかったもんじゃないだろうし。

それに、見えてれば誰も苦労しない、今日みたいなエイプリルフールに騙されることもない。

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