納
今日は俺の仕事納め、と言ってもいつでも自分の加減で終わらせれるけれど。
世の中の人も概ね昨日今日までじゃないのかな。まあ最近はどこも営業しててよくわからない。さはありながら、どうあっても明日で2009年は終わる。今年みたいな年を忘れることはしたくないものの、忘年会と名のつくものは他に良い言い回しが思い浮かばないのでとりあえずはそれを使うことにして、あと一時間ほどしたら忘年会に出掛けることにする。
さて
俺の近所には大きな神社があるので、参拝用に案内板がそこらたし立ってきた。誰が建てたのか知らないけど。そして神社内には、早いところでは露店も組み立て出していて、来年への”ソウテンイ”を目の当たりにしている。
今年が良い年だった人も悪い年だった人も、又そんなの関係なかった人も、何かしらの思いをもって神社に訪れる明日明後日。勿論出掛けない人もそれはそれで。
おそらく不景気だったことも相俟って、神に祈る人も幾ばくか増えるのではないかと。良い大人が自分や世界のことを本気で神に祈るとは思えないが、そこは人の弱さと言うもので、状況が悪いと盲目になるのである。特に宗教観の薄いであろう日本人は、普段祈らない分ここぞと。まあ、それはスポーツの応援とかでも同じ。ワールドクラスのイベントでしか力を入れない。
そもそも、神社や寺と言うものはそういう意味でブレない地位をもっている。あの安定感やサンクチュアリな雰囲気は、確かに人のよりどころになり得る。
一方で、日増しに季節感を失う環境に住み、そうやって季節ごとの行事に加担しなくなると、生きた心地が無くなってる感じがある。だからこそ無理にでも帰省ラッシュに乗ってしんどい中、田舎に帰ったり寒い中大晦日に行ったりするものなのか。
昔々、論語に書かれた頃より、遠くに住む友人が地元に来ると言うのは愉しいものであると。北国に住む旧友は今年珍しく年末に帰ってくる。
今年は酔って薄れた記憶の中年越しをするのかもしれぬ。
まあ、まだ明日の話だけど。
世の中の人も概ね昨日今日までじゃないのかな。まあ最近はどこも営業しててよくわからない。さはありながら、どうあっても明日で2009年は終わる。今年みたいな年を忘れることはしたくないものの、忘年会と名のつくものは他に良い言い回しが思い浮かばないのでとりあえずはそれを使うことにして、あと一時間ほどしたら忘年会に出掛けることにする。
さて
俺の近所には大きな神社があるので、参拝用に案内板がそこらたし立ってきた。誰が建てたのか知らないけど。そして神社内には、早いところでは露店も組み立て出していて、来年への”ソウテンイ”を目の当たりにしている。
今年が良い年だった人も悪い年だった人も、又そんなの関係なかった人も、何かしらの思いをもって神社に訪れる明日明後日。勿論出掛けない人もそれはそれで。
おそらく不景気だったことも相俟って、神に祈る人も幾ばくか増えるのではないかと。良い大人が自分や世界のことを本気で神に祈るとは思えないが、そこは人の弱さと言うもので、状況が悪いと盲目になるのである。特に宗教観の薄いであろう日本人は、普段祈らない分ここぞと。まあ、それはスポーツの応援とかでも同じ。ワールドクラスのイベントでしか力を入れない。
そもそも、神社や寺と言うものはそういう意味でブレない地位をもっている。あの安定感やサンクチュアリな雰囲気は、確かに人のよりどころになり得る。
一方で、日増しに季節感を失う環境に住み、そうやって季節ごとの行事に加担しなくなると、生きた心地が無くなってる感じがある。だからこそ無理にでも帰省ラッシュに乗ってしんどい中、田舎に帰ったり寒い中大晦日に行ったりするものなのか。
昔々、論語に書かれた頃より、遠くに住む友人が地元に来ると言うのは愉しいものであると。北国に住む旧友は今年珍しく年末に帰ってくる。
今年は酔って薄れた記憶の中年越しをするのかもしれぬ。
まあ、まだ明日の話だけど。