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コントロールラヴサイコ

起きもせず 寝もせで 夜をあかしては 春のものとて ながめ暮しつ

この記事見て知ったんだけど、恋愛の詩なんだそうで。おれはてっきり「ボーっと暮らしちゃうのも春のせい」という意味かと思っていた。他とは毛色が違うだるい詩でいいなーと。

しかもながめが”眺め”と”長雨”とをかぶせてるらしく、眺めも男が女を見てる様らしい。

行間と言うか、文字通りの意味だけでは足りないのか。



しかし、足りないと言えば、文字だけではなく言葉でもそう。思ってなくても敬語使ったり、感謝したり、謝罪したり、場合場合に使わないといけない言葉が多い。誠意もこもってないのに脊髄反射的に出てくるような、そういう社会性ばかり世の中にはいろいろ溢れている。要するに「言葉にしてくれないとわかんないよ」ということなのに、言った意味以上のものを察しないといけない。おれは言葉にすることも少ない上に、言葉にしても相手がわかってない時が多いからどれだけ足りないのか想像もできない。

記事では詩を詠まれた時代から千年経った今も、恋愛に悩む姿は変わら無いとか書かれていたけれど、かの昔に詩なんか詠んでた身分の人と同じ感じで言われても困る。貴族って暇だから色恋に精を出してるしかなかったと聞いたことがある。

変わってないのかは貴族でない自分には議論出来ないけど、昔の貴族クラスの生活をしてれば暇で恋愛しようという発想になるかぐらいは考えてみても良い。結果から言えば、暇でいようと思えば遥かに暇でいれる。なぜなら、立場や身分的なことを除けば生活レベルは遥かに高いものとなっているから。詳しい記述は省くにしても、どっちの時代の方が生活レベルの差の総数が大きいかは明らかだろう。
とはいえ、現代人はその生活レベルの維持とそれに加えたちょっとした贅沢をするため、暇つぶしで恋愛をするほどには至っていない。つまり、なんとはなしに暇でいる人(昔の貴族層)というのが、今で言う富裕層にあたる人の間にもあんまりいないのかと。

何が言いたいのかよくわからなくなってるけど、最近、頼りない男を取り上げてニュースにしたり、今日もTHE BEST HOUSEで女性は強いというテーマを扱っていたりそう言う時期かなと思っている。なんかの雑誌で女性の時代と男性の時代が繰り返し来ていて、わかりやすい傾向としてクルマが直線的なデザインになると男性の時代、逆に曲線的になると女性の時代となると載っていた。それが何かを物語ってる気がしなくもない。

長く書いたけど、実はそんなのどうでもよくって、というのも、強い者や頼りになる人が存在するためにはロングテール(裾野の方の弱者)がある程度存在しないといけない。だから、自分でどちら側に行くか選ぶだけである。

emperor the absolutely strong

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