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継続する力無し

このマッピングはどうなんだろう

みんなが使っているから、自分だけ不便だと困るから。そのチョイスじゃ人生が不便になるとかは思わないだろうか

俺が窓から林檎に買い替えた2002年当時、今より遥かにMacユーザは少なかったけど不便と言うかそれ以上にMacの方が楽しいという事しか思わなかった。それに最近はクラウドとかあるから、Macである不便さとか余計感じない



別段、窓オーナーがどうって訳ではないけれど、教習車がクラウンだったからずっとクラウンに乗ってるみたいなイメージがある。俺はとても飽き性なのでよほどの優位性がない限り同じものを使い続けるという事はしない。

悪く言えば長続きしない性格である。三年でやめる新卒とよく言うけれど、今の年まで、三年以上続いた事といえば、義務教育と大学までの学生、そして強制的又は必要性からボーイスカウトと投資である。趣味では読書(その大半が漫画)くらい。

こう書けば、”ある”と思えるかもしれないけれど、続いてない数の方が圧倒的に多い。

確か、一番はじめにやった習い事はピアノだった。多分五歳の時。程よく耳も良かったので絶対音感もそこそこに、好き嫌いの意識無く淡々と習う日々。ただ、周りが女の子ばっかりだったし俺のペースで事が運ばないので一年もたたないうちにやめてしまったような記憶がある。別にそこまでいやでもなかったと思うけど、こどもの我慢強さなんて無いに等しいからね。

その後、友達がお菓子を貰ったという情報につられて近所のじいさんがやってるよくわからん教室で、日本語のなんかを習った。これは多分ほとんど行ってない。周りがアホ過ぎたから。

その次は多分サッカーである。キャプテン翼の影響かねえ。期間にして半年くらいだろうか。面倒な体育会系のノリだったのでついていけず。

あとは某企業がやってる進◯ゼ◯を小学校6年間で二三回やったりやめたり。

六年生で塾に行くも十ヶ月でやめた。

中学生になって、こりもせずサッカー部へ入るも毎日授業終わりで決まって出て行くのが面倒で自然消滅。誘ってくれる友達もいてなんか悪い気もしてたんだけど、なぜか不義理にしていた。この辺が騎士道で言うところの不誠実さだろうか。その友達とも不仲になり高校卒業するまで距離があった。しかし、共通の友達を介し良好な関係になったのでまあ運がよかったなあと。

さて、高校生になって受験の妥協から、高1から予備校に通うくらい真面目な子になったものの、持ち前の持続力のなさで高3の12月に匙を、いや、ペンを投げた。そのおかげで浪人した。もうこの頃になると酷いものでハナから何もやろうとしない駄目人間が出来上がっている。唯一続いていたボーイスカウトも高校になってやめている。

ただ、継続自体に価値が見えなくて、漠然と長くやる事が美徳のように取りざたされる風潮に納得出来ないのはずっと変わらない。長くやって成果が出ないことなんてザラにあるので、頃合いを見て損切ることの方が損失の傷を広げないためにも重要な事だと考えている。

なんというか、人でいる事さえ続けられたら十分だという気がするんだけどね
何をしてる人ってなんなんだろう、人をして人ではないのか?

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