Header Ads

手段と目的、その非対称

電話にカメラを付けようと思った人が、果たして写真好きだったかどうかは定かではありません。しかし、今やスティルもムービーも専用機に劣らないくらいのクォリティになって、誰もがスマホで表現し発信するようになりました。

例えば、山登りを好きな人がついでに写真を撮るのと、写真を撮るために山に登る人。その2サンプルがあったとして、そこに求める結果は別々のものとなります。ただ、俯瞰して見れば登山と撮影を行なっていることに変わりはないわけです。

誰かにとっての手段は誰かにとっての目的で、熱にも差があります。

ぼくは最近よくドローンを飛ばしていますが、面白い動画を撮りたいということ「も」ありますし、ドローンで金を生めれば都合がいいなと「も」思っています。これが、土建関係の人だと測量のために使うケースもあれば、橋梁の点検とかまあ用途がまた変わってきます。

どこまでが手段でどこからが目的か、ビジネスって言えば目的は金でまとまりそうですけど、プレイヤー気質のあるカメラマンなどはいい絵を撮ることが目的になっていたりするように感じます。こういったレンジの幅が価値観と言われたりするんでそね。

仕事と趣味を分けるのはそれぞれのレンジがクロスしないケースで、クロスする人は好きなことが仕事になるという最近はやりのケースです。ぼくは節操がないのでそんなことはどうでもいいんですが、単に好きで何かをやるとかやりたいってのがなくなった反動なのかなあという気もします。

スケール的に、手段と目的の乖離が小さくなるほど実行ハードルは下がり、金の発生も小さくなります。そのサイズ感が大きくなるほど経済的にはGDPが小さくなって「離れ」という表現で報道されることになるんですか。よくわかりませんけど

このサイクルが次のステップに行くのはまた次のテクノロジーの進化ということになるわけですが、そこには何かしらの手段と目的差が発生しています。AIに心配をするのはこの追いつけ追い越せ構造の主体が入れ替わるとかいう懸念からくるのかなあなどと思ったり思わなかったり。
Powered by Blogger.