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コミュニケーションは気圧である

波はなぜあるのか、というと一言では言いにくいところがあります。月があるからというべきか風が吹いてるからと言うべきか。とにかく、高低差を発生させている原因という点を説明したいわけです。

さて、これが昨今の流れなのか何なのか、ここ十数年やたらめったらコミュニケーションが叫ばれるようになりました。ひとえに旧世代の人間のコミュニケーションのなさを補う形で出てきたようにも感じますが、半分はそうでもないかもしれません。


ぼくみたいに意図してコミュニケーションを断つような人間が、客観的にその辺の人のやりとりなんかを見てると、ただ凪を求めてる感じがして何がコミュニケーションなんだとか思うのです多くを語り自分の引き出しにフィットした部分をとっかかりとして、理解をただ深めるなんてのはネットの検索とさして変わりません。極端に言えば、話したくない人に無理に喋らせず、喋り過ぎを割り引けるような処理が必要となります。

コミュニケーションをとれ、と言った時点で自発的に論理を破綻させてるわけですが、そのへんのまともさを多くの人が持てるくらいなら、わざわざ声を大にしてコミュn(ryなどということにはなりません。逆に言えば、非対称性があるからこそ価値があるわけで、理想を言えば全員の高いコミュ力とはテレパシーか、高度に制御されたロボだともいえます。

したがって、付加価値のためのコミュニケーションが必要ならばそれによってほしいものを明確にしたほうが効率的だと考えます。なんのためにやってるのか、の前にテクニカルばかりキャーキャー言うのはいかにもなのですが、その先の話にビジョンがないのがバレるといけませんからね。英語をしゃべらないほうが馬鹿がバレないというのと同じですね違いますかそうですか
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