Header Ads

人は見た目と中身にどれほどのギャップを持つのか

極めて主観的なことを言えば、見た目がジャニタレ的な感じの男ほど自分は男らしくいたい気持ちが強い、という印象を持っています。何をもってかはなかなか言語化しにくいところがありますが、雑に言えばイスより座敷でご飯食べる方が男らしいとか、そういう話です。

逆のケースでは竹内力さんパターンがよく聞くやつですよね。見た目ヤクザなのに優しいみたいな。

これがどうにも表面化して取り沙汰される割合のバランスが悪い気がしてなりません。ただのホット/コールドスタートなら差が出ないもんですけど、主観割り引いてもイーブンにはならないように思えます。

というのも、見た目から受ける情報量と、印象といったイメージの持つ情報量がそもそもバランスしないところに原因があるんじゃないかと考えます。脳の癖があるとすれば、右脳型はより映像に重きが置かれ、左脳型は記述可能な情報によりリソースを割くわけです。

一方で、再現性の高い工業製品、車などは見た目と中身が比較的一致している場合が多いです。まさか軽にV12が載ってるなんていろんな面からも無理があるわけで、選ぶ人も極めて小さいギャップにフィットしていきます。

人は人を作ってますが創ってはいないので根本的にデザインは異なってしかるべきなのかもしれません。ただ、筋肉のように高い相関を持ったパラメータはなかなか疑いにくい事実もありまして、細くて強いものは存在しません。

だからと別に筋肉だけを信用しろと結論付けたいわけではないです。何が言いたいかというと、ギャップそのものにも非対称な面があるということです。
この図の黒い点はギャップがない位置で、赤線と青線の開きがギャップとします。横軸と縦軸を顔の傾向と中身の男らしさなどと取ってみると、理想状態では同じ丸の八の字を描き、実社会では非対称な八の字になるという話です。

その非対称さは社会的価値であり、時間によって大小します。そしてその変化速度が急なほどギャップは発散的になり、より人間っぽく(?)反対に緩やかなほど機械っぽくなるということです。
Powered by Blogger.