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ロールモデルがあるという解が少ない世界

小さい頃は「何になりたいですか」と聞かれていたものが、大人になると「何がやりたいですか」に変わります。一目すると具体性が増したようにも感じます。しかし反対側から見るとできることが減ったというか、可能性がなくなってるとも見れます。

ぼくは小さいころからやりたいことはあって、なりたいものはありませんでした。大人になるとやりたいこともなりたいものもなくなったわけです。というと問題がありそうな空気が出ますけど、単純にそういう長期的な展望を描く期間が縮んだだけです。

子供には子供なりの制約があって、それは一方で大きな可能性でもあったわけですが、大人は大人なりに手に入れたものもありますよね。そこのトレードオフが無い物ねだりの悩ましさでもあります。



例えば、それが大昔ならどこぞの金持ちになりたいだなんだと明確に羨ましい対象なんかがあったりするものでした。理由は金で手に入るもののプレミアムの大きさです。わかりやすく言えばカラーテレビとかでもいいです。今や4kだって無理せず誰でも買えるレベルの商品で、どんなにインチを積んでもなんの象徴にもなりません。

車でもなんでもそうですね。テクノロジーの成熟によってその都度プレミアムが変わり、追いつけば離れるという周期性がどんどん早くなりました。その結果、極限的に言えば最先端と旧型が隣り合わせにある状態を作ってしまったわけです。

大雑把に言えば憧れてる時間だけ夢を持ててたところが、目まぐるしい展開によって分かりやすい達成感を味わう期間も同時に維持できなくなったということです。ロールモデルといった再現性のあるモデルも一瞬しか効かないとなると選択肢は二つ。旧来価値で収まるか都度価値を消化するかです。

マイルドヤンキーとグローバルマッチョの構造ともスケールしますかね。まあとにかく、時勢の転換期というのはそういった価値の転換そのものなのです。最近の若者のなんちゃら離れは過去にもおそらく幾度となくあった一現象に過ぎないのかもしれません。ただ文明のインパクトとともにその母数が増えてしまったので、離れるものが目立ってるだけでせうね。
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