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運は科学か非科学か

運は光と同じように粒としての性質と波としての性質を持っています。そしてまた統計的な扱いによって説明されます。運の総量という考え方も正しく、波長の合うあわないという目線で見れ、他者との関係と合わせてその性質が見えてきます。周波数とボリュームと隣接間相互作用という三軸で表すと、単純な関数にはなりませんが、サンプルを相当数確保すれば自分は運がいい方か悪い方か客観的に判断できるかもしれません。
簡略した図で言えばこんな感じです。絵にする手間の都合もあるので、波に関してはドブロイ波みたいなのが疎密になって存在してると脳で変換してください。丸の大きさは運の総量として考えます。

例えば、TMの西川ちゃんの歌詞を借りるとわかるように
死ぬまでに使い切る 運の数せめて 自分で出し入れをさせて (HEART OF SWORDより)
量について触れたものはよく見かけます。しかし、周波数という視点で詠まれたものをぼくはまだ知りません。これは歴史的にそういうもんなんでせうかね。

とにかく、物事は一面で語るほどシンプルにはできてないようで、変数を増やすほどに実は像がよく見えるわけです。上で、他者との関係と書きましたが、その他者を世間とでもスケールすれば、総量にかかわらず波長が合わないことには運も冴えません。逆に波長さえ合えば同じ波を持つ同志が共有し、総量の大きさによるメリットも受けられるということです。

これが多数派の効用であり、トレンドフォローで得られる価値でもあります。

ちなみに、運の総量は個々のコンテンツに比例し、組み合わせの妙によって周波数が決まると仮定すれば、運の量は相手に与える可能性の増減とも考えられます。したがって、運の数の出し入れには直接の良し悪しはなく、確率を調整している作業ということになります。

とまあ、長々言ってますが、結局人々の興味はどうすれば運が良くなるかということに尽きるわけです。自分的にはその辺に再現性というアプローチが介在できることに意味があるんじゃないの?とか思うのであれですけど、いい大人なら個々でその先を考えるのが生きてるってことですよね。
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