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クラウンという象徴

1955年からずっと日本車の代表みたいな顔をしていたクラウンですが、その地位は年々下がっています。今やトヨタ(除レクサス)で一番高い車はアル/ヴェルという時代に来ました。あのセンチュリーを超えてチ◯ピラ御用達がトヨタのフラッグシップなわけです。

67年に最上の地位をセンチュリーに譲り、89年にはセルシオ、91年にはアリストにも抜かれました。05年からレクサスとして、セルシオをLS、アリストをGSに高級ラインと明確に区別した次第であります。

このクラウンの動きこそ日本そのものだと言っていいでしょう

未だクラウンは多くの人に人気があり、おっさんからコンサヴァな若者までリーチしています。しかし「いつかはクラウン」は今や「いつかのクラウン」であり、人間の層もそれに引っ張られる形で形成されてきました。

世代交代というか世代後退というか、とにかくエッジな乗り物ではもはやありません。それはすなわちエッジな人もそこにはいないと言っていいです。いくら最先端のテクノロジーでも流行りの見た目でも、落ち目のステータスに追随する人はセンスがねえです。

一応、フォローしておくと別にディスってるわけではありません

ぼくもクラウンは別に嫌いじゃないですし、くれるなら乗ってもいいくらいの車です。中には金もらっても乗りたくない車ありますからね。

ただ、大きな流れとしてそこにある凋落は隠に世相を示していると感じずにはいられません。ステータスなんていうとそれこそ今時じゃないですけど、車が人間性を反映してるのは間違いありません。

ネームバリューはそれに満足できる人だけがメリットを感じ、実益面では客観的評価になりません。その乖離こそ破綻の初動であり、価値損失の螺旋なのです。
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