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面白くできる人が偉い

あるカテゴリにおいてある段階において、面白いと思わせることは難しいものです。

小さい頃から現時点まで、ずっと好きなものや好きだったものがどうして好きになったのかは、あまりわからないことの方が多いかもしれません。ぼくはそうです。

勉強はできないから嫌いになると、義務教育くらいの時は思っていましたが出来なくても好きだった教科もまたあったわけです。反対に嫌いでもできるやつとかね。

その原因のウェイトは概ね教師にあったのはみんなの知るところでありまして、小学校は音楽や図工を除き担任が受け持つ分逆に好き嫌いは教科の出来に相関があったかもしれません。しかし、中学以降は分業となり、かつ自身の我も強く影響した結果
「こいつ態度が気に入らねえから授業聞く気でねえわ」
なんてことにもなりかねないのです

頭がいい素養のある人は教師依存しないもので、嫌いだからできない現象は起こりません。富裕層が好き嫌いで投資対象を選ばないのと同じです。

「面白がれる自分」の大事さは所さんも言及する所でありますが、一方で面白さを提供できる自分を考えた時に、あれっとなるわけです。

某予備校の教師人のトークが秀逸であれだけテレビで流れるのを見て
「あれに習えば自分も」
と思うことの浅はかさ同様、物事にはフェーズがあります。あの時その時は精一杯だったんですよ。

面白がれなかった自分を持って、いざ人を面白がらせる難しさにぶつかり、需給を考えれば、自ら省みてなおくんば〜とはまさにそういうこと。誰かに与えてもらわなかったことより与える自分がいない方が問題なんですよね。
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