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楽しさの定義って持続なんだよね

12月の脳みそは今年ももう終わり、とクリスマス年越しで占められてると思うんですが、その実はネガティブだったりポジティブだったり、また惰性でもあるわけです。

大人になってもクリスマスとかで楽しめる人は、楽しさの味が持続して大人になったとも言えます。ぼくの例で言えば、概ね楽しさのピークは小学生の頃だったので中学以降のクリスマスに特別な記憶がありません。高校過ぎてからは誰にプレゼントもらう機会もなかったはずなので、イベントとして魅力というより価値がなくなってそこで終わりです。

何もクリスマスに限ったことではありませんが、新たに楽しいことが見つかると毎年のサイクルに頼った楽しさは陽が射さないのです。ビジネス的には定期的な稼ぎ時として非常に優れているので、死守するための思惑も自然湧いてきます。それは広告として目に触れるので改めて言う必要はありませんが。

ただ、家族とかいる人は自分のサイクルだけで回らないケースも多いでしょうし、その限りでなはないことはわかります。またフェーズが違いますからね。



サイクルサイクル言うてますけど、サイクルってサイクルを潰す役目もまた持ってるとか考えてるんですよね。例えば、クリスマスみたいな目先の楽しさでもって楽しさを維持する反面、ルーティンに見られる日常のループをどう捉えるかが幸せの鍵だとか言われるわけです。

ここで親鸞の和歌を参考にしたいと思います
明日ありと思ふ心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかは
まあ、あるうちに楽しんどけということでせうね。はいはい
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