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日没の時間という曖昧さ

うちの近辺は11/4、17:01時に日没となっています。ただ、なにぶん盆地なんで地平線が山なわけです。360度。なので実質16:40くらいに太陽は見えなくなります。まだ空は明るいんで沈んでないんだなあとは思いますが、地理によって多少差があるというと果たして没時刻の開示に意味があるのかと考えてしまいます。

奈良は夜が早いと言われ、夜間周辺の山から望んでもまあ光が少ないです。もちろん人口もそうだしビルも少ないので当然と言えば当然。ただ、山に囲まれたせいで日照時間が減ればそれだけ体内時計的には早く寝る方へシフトしていくわけです。

もちろん現代は照明を浴びる時間も考慮しないといけないので果たしてそこまで差が出るのかという話はあります。

しかし、現代は日の出入りよりも先に標準時というものがあるので、わざわざ何時に出て何時に入るなんて、なんだか二度手間感があります。ずいぶん昔(有史以前)は光というと太陽だっただろうから、出てる間がそのまま(行動する)時間になっていたでしょうし。言ってみれば、太陽の役割を一つ奪ったわけです。

そう思うと、テクノロジーは常に人を含めた自然環境の代替を担ってきただけのような気もします。時間を自然のものというと違和感がありますけど、その時間を食ったことでどこかに割を食わせるのも昨今のテクノロジーの成果です。

秋の夕暮れ、ぼくのセンスでは詩的な表現は出てきませんね
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