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クマを殺るか殺らないか、それが問題か?

人のエゴでクマが減れば保護し、被害が出たら駆除を考えるのはいかがなものか、という単純モデルの話で物事が解決した試しがありません。

原理原則から言えば、淘汰の渦であり一度手を入れた責任から逃げないのが正しい選択です。そこは志々雄パイセンの言葉を借りればクマが弱いのが悪いわけです。ただ、バイオキャパに触れてそれを完全に調整することは色んな面で難しく、それこそ人工知能に担って欲しいところでもあります。

こういう話題にはよくニホンオオカミも登場しますが、自然環境における一変数の及ぼす影響の大きさは誰もが実感しています。そこをして、今更クマをどうこうなんて果たして何ができるのかと思います。

町の人間が田舎の現状を語ることの非生産性は言うまでもなく、一方で両者とも現実がどうなのかは見えていません。どうしようなんて報道は見てる人に解を求めてでもいるのか、まったく電波の無駄です。かといって専門家気取りのパネリストに行動は伴いませんのでまた話を聞く価値もないのです。

ここで気の利いたアイデアを実践してる人が見えてこないのは、実は問題が深刻じゃないのではないのかという疑いも出ます。広告次第で盛る盛らないが平気で変わるメディアに期待するほうがおかしいですけど、ある程度割り引いてイベントに接しないといけないのもまた確かなわけです。

昔々、大きな情報媒体もない時に先人たちはどうしたのか。そういうところに知見がある人が求められてる時代なんですかね。
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