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歴史って何の歴史だろう

世界史や日本史とは、今思うと世界と日本つまり国のトラックレコードであります。有史以降で言えばさしずめ政治の記録と言ってもいいかもしれません。そこには政治背景を説明するための経済、文化や科学といった要素は含まれますが、個々の履歴はなかなか見えてきません。

ぼくは中3が歴史熱のピークでしたが、そんな細部はあまり意識していませんでした。そこからサイエンスに興味が振れて、工学とか宇宙を意識しつつ最終的にはよくわかんねえ卒論で学を修めました。

ただ、基礎教養の科目で美術史とったり科学史に触れる中で、歴史という大きな綱を編んでいる細い紐に気付くわけです。もともと、歴史好きになったのも資料集読むのが好きなところもあってのことでした。

紐解くとはよく言ったもので、ただ大きい綱を辿っても得られる情報は限られています。地形のロジックは地球の歴史であり、産業の歴史は経済の勉強そのものです。

努力の効果に関心が向く昨今、なかなか成果が出ないと感じる人は綱引っ張ってるだけか、解く綱を間違えているのかもしれません。ぼくはずっと解くだけ解いて、もはや解くことが目的になってるフシがあります。これもあんまりですね

世に
「人は本性を持っているのではなくただ歴史があるだけだ」
と言った人がいます(名前忘れました)。

今週はトランプさんがネタの筆頭に来ていますが、彼のストーリーがそこまで否定されるものとは思えません。大統領として、などと言う人が多いのはわかりますけど何もやらないうちからリスクばかり語る人は未来人か何かですか。そして民意というものをどう捉えてるんでせうか。

事実とコンセンサスの乖離はインパクトとして市場を盛り上げるように、そこには期待と不安の二状態が混在するものです。確定要素だけのギャップがない毎日なんて歴史としては無価値にすら届きません。
日本帝国の申し子—高敞の金一族と韓国資本主義の植民地起源 1876-1945
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