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"自分を持つ"と"頑固"の違い、また"自分がない"と"柔軟"について

「やってみなきゃわかんないよ」
と、日々口にする割に、いざこちらの提案に対してこれといったノリを示さない人間は少なくありません。とらえる人の偏見も加味すれば、自分を持っている、しっかりしているなどと褒められ、同じような評価軸の人が多いほど一方に偏ります。

ああしろこうしろと言って、前提に常識やルールを持ち出し、その通りしないことは頑固で融通が利かない人間と見る。そういう話もレアなケースではないわけです。では一体何を持って頑固だ柔軟だというラベルを貼るのか

逆説的に言えば、言葉でカテゴリを分けないと都合が悪い人が自分と差をつけるために何様なソートをします。

矛盾を受け入れる、などとフレーズを整えたがる人にありがちですが、例えば自分は頑固ではないと思いたいがあまり、一番楽にそれを示すため周りを頑固にしたいのです。よくある相対化です。

うまくいけば自分のエネルギーを消費せずに実現されるのですが、あくまで短期的な効果しかありません。それは時間とともに、相手の受入確率が上がり何にでも対応するようになれば実質の柔軟性で負けてるのが明白になってしまいますからね。

こうなってくると相対的な柔軟さでの劣等を回避するため、新しくネガティブなラベルを貼らないといけなくなります。それが”自分がない人間”だったりするわけです。

周りばかり見ていると自分の本来持っている恒常性が失われ、長期的なバランスを保てなくなってしまうんですね。よく自分を見つめろとかぼんやり言いますけど、その文面だけじゃほとんど意味をなしません。人と自分で常に距離を測りつつでなければ、結局のところ正確な位置関係などは把握できるものではありません。

安易なフレーズと安易な解決方法は本質的なソリューションと随分乖離するものです

動的平衡をベースに考えれば、ずっと頑固ずっと柔軟であることも難しいわけで、時々のフィードバックにより適当に調整が必要なのです。自分のあるなしもただその度合いを見ているだけで、過ぎたればなんだし、及ばざるもあれです。

気をつけるとすれば、自分がそんな言葉を吐きそうな時にまた吐いた時に自覚できる状態にあるか、くらいでせうか
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