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簡単に選べないのはこだわりか、それとも優柔不断か

ありものから選べなかったり、自分の中にこれという像があるなどという違いはあれ、選択は人間の行いでもエネルギーの高い行いの上位であります

先日、ディーンさんが肉骨茶とかいうものにこだわりを見せるというのをやってましたが、非常にめんどくさかったですねw以前もフォーで同じような件やってました。

ただ、ぼくの場合はそこまで食へのこだわりがないからそう思ったのであり、車だったら果たしておいそれと納得したかと考えた時、そうはならないと思いました。それはもうディーンさんばりのめんどくささを発揮したでしょう

一方、多くの選択肢を与えられた時、ここぞという決定打を得られないのは一部優柔不断という要素はあるにしても、そこには知識不足が垣間見えます。いや先天的な思考回路のつまりとでもいいませうか。

わかりやすいところで言えばレストラン等のメニューひとつに何分かけるんだというケースです。かつて松岡修造氏が世界をとるには瞬間的に決めないといけないとかで岡村さんに課したテーマです。

しっかり考えて行動するのも悠長な時代では一定の評価を得たのかもしれません。しかし、決めてる間にも相当動きがある中では都度変更できるだけの瞬発力以上に価値があることではないわけです。

株価でも何でもいいですが、確実でない未来の動きを予測することは最優先ではありません。むしろ動いてからのことを準備しておくことにソースを割きたいところです。災害への対策も一時のことを思うとそっちにシフトしてますし。

ともかく、決めたら終わりという怠惰は許されない以上、選択の回数以外に話が前に進むことはないのです。一個一個の決定に時間をかけることはすなわち時代に取り残されることに他なりません。

長考の末に間違うことと短期的なトライエラーの連続による損失、単純な比較にはならないかもしれませんが習慣的にプラスが維持できるように心がけたいところです
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