Header Ads

正しい質問が9割

学生との対話

考えるとは、古来「かむかふ」と言い、か(処)+向かうでかむかふ。向き合うという話です、要するに。

日頃、考えるというと一人でうんうんというイメージですが、これは本当に考えてると言えるのでせうか。確かに、自分の実像と虚像が向かい合ってるのかもしれません。流行りのメディテーションなどもその類と言えますかね。

ただ、一方で罪と罰に見られるように、考えてばかりだと人はおかしくなってしまうわけです。自分が自分に気の利いた質問というのは、そりゃあ常軌を逸したものにもなるというものです。

一方的に話しても何も得られないし、聞いてるだけでも何も得られない。対話とはそういうもので、考えるとはそういうことなのです。

コネクティングザドッツ

とか言って、何年もいや、何千年も人は同じことを問うては迷い生きて死んでいく。宗教も哲学も歴史も、同じものを掴みたくて手を替え品を替えしてるだけにも思えてきます。本書でも何度と出てきますが、論語もそうですね。弟子と孔子の会話。何を問い何を答えどう思うか。

小林秀雄さんとは時代を共有してすらいないですけど、やりとりだけ見たら先月にやってたと言われてもわからないくらいでしたね
Powered by Blogger.