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トヨタクラウンとiPhone

ぼくは2002年から林檎使いですが一度もiPhoneを持ったことがありません。今回7になってかねてよりの懸念であった物理ボタンとFeliCaの搭載により検討段階には入りましたが、ハードへの不満が払拭されたわけではありません。

各所では主に黒い筐体の選択肢くらいしか話題になってませんし、一部では往年のガラケー機能が採用されただけという意見もあります。

ただそんなことはどうでもいいです

ぼくがいつも気になるのは日本のiPhoneへの信仰心の強さです。戦時中から始まる横並びの価値観は昨今の社会でも顕著であり、クラウンのシェアやリクスーなど、選択の放棄が散見されます。

iPhoneがその例外でないのは言うまでもありません。私見たっぷりに言えばつまんねえやつほどiPhoneユーザというのは当たっている自負があります。もちろん母数の多さとか考慮すべき点は山ほどありますが、それも織り込んでいます。

プリウスやアクア、フィット、クラウンのようなCM打たなくても売れるような車を選ぶユーザにどれほどの人がいるんだという話です。クラウンなんて歴史の長さもありながら、代々乗り継ぐ人間の多さったらありません。おっさんかマイルドヤンキーで9割を占めてるでしょ

このメンタルが直近にシフトするとiPhoneになるわけです。日本が先進国...いや、経済大国の階段を登るときのいつかはクラウンが、昨今の途上国のいつかはiPhoneなわけです。

”成った”人間がつまらないのと同様に、iPhoneはピークアウトの象徴とも言えるわけです。これ何かわかりますか?伸びしろありませんね?

買って終わりやって終わり、みたいなことは脳みそが耄碌している証左であります。スタートからのアップサイドに面白みなんてものはあるわけで、そこを外すほどもったいないことはありません。

まあ仕方ないんですけどね。足りなさを埋めるだけのセンスもアイデアも持ってない人たちですから
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