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仏の掌では掬えないもの

この時期は年忌で、和尚トークを聴くのが恒例になっています。このいつも世話になってる和尚さんは来年70になるそうで、世代交代されるとおっしゃってました。

優秀な人なんですけどね、息子も結婚して頃合いだろうと。まあ完全に引っ込むわけではなく、寺のことは続けるみたいですが、どうもここ数年は人の退く姿を目にする機会が多いなあとか思う次第です。

それだけ自分も年食ったという話なんでせう

で、

最近は(と言っても数年のことでもないですが)、寺の界隈も変わってきてて、家から葬式出すことも減り、人呼ばないこともすごい増えてるそうですね。さらに言えば、残った人で決めずに、生前でこうせいああせい本人が決めてしまうと。

これが時代だっていうのは、確かにそうです。ただ、その世代が下の世代に任せられない何かがあって、なおかつ信用してない部分も多くあるように感じます。テクノロジーの進歩がそういった関係に手を貸してると言えなくもないでしょうけど、それだけかというと違いますよね

ぼくなんかは大概感情をないがしろに、合理性先行で進めばいいとか思ってますけど、墓参りをはじめ法要やらの部分に関しては、近年にない領域としてあまり土足で立ち入りたいとは考えていません。

ほっておいたって、市場原理から離れることはいかに聖域であれ難しいです。意識して守ろうとしないと人はどんどん離れていきます。デューク更家さんが、モナコの文化に関しても言われてました。そこに住む人で維持してると。

だから手間でも無駄でも年に数回はそういう意識持つ意味で習慣化する必要はあるのかなあなんて思っています。作法の問題じゃないのかもしれませんけどね、墓前に身一つ持ってこれない雑な人間ってたぶん他のことも雑になってるんですよ。


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