新築や新車に価値はあるのか
本質的に新しいだけということなら、そのプレミアムに見合うだけの価格であれば価値はあるということになります。
一応仏教徒のぼくでも需給という神の見えざる手は信用しているわけで、これが一般的には価値を決めています。
で
車における「新しい」のメリットは概ねそのテクノロジーやデザインの先取りにあると思っています。したがって、どこにでもあるような軽やミニバンなんかは新車としての価値はありません。まだ誰も乗ってないから綺麗というくらいのプレミアムです。
家もそうですね。新築でその辺にあるような設計だと建てた段階から価値はありません。家を売るといいますが、ほとんど土地の値段だけの評価でしょうね。
よく言われるように、日本では手をつけてないものが高く、欧米では長年維持されているものが評価されます。なんか、ものづくり()では逆を言ってる印象ですが、どうなんでしょう。
選択と住み分けが大きな要素になると思いますが、流動が前提となるものはあまり新品をつかまない方がいいのかなあという気がします。好き嫌いは別にすれば。一方で、消費するものは中古だと全然ダメですよね。服とか。
ただ、趣味性がとても強いもので流動性が高いものは一時的な過熱感を伴います。おおよそ価値の上がらないものが一時的な流動性の枯渇によって、まるで価値があるかのように見えるわけです。
よくあるパターンは、センスのない成金がセンスのないスーパーカーを買って、
「スーパーカーは乗っても価値が上がるから高く買ってももっと高く売れる」
とか言ってるケースです。
本当に価値を持ってる車は早々マーケットに出てきませんし、本当に車が好きな界隈は下賤なグループの取っ替え引っ替えには参加しません。この差は車種見ればすぐわかります。
世に、不気味の谷という現象がありますが、資産価値にも似たような面があるとぼくは考えます。谷を越えて跳ねてくるものだけが価値を持ち、これは手に入れる段階の新古とは関係がありません。価値を形成しうるポテンシャルを選ぶ教養が大事であり、ここにこそ本来価値が置かれています。