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失うというよりか、海の底に沈んでいく感じ

ふと思い出したんですが、昔「社長になりたい」と言ってた人間がどこかのタイミングで「別にやりたいことはない」と心変わりしてたことがありました。何かを得れば何かを失う、などとつまらないことを言う気はありませんが、水面に顔を出していたものが引っ込んだ感じを受けるのです。

逆に、何かを失った時に、昔持ってた気持ちが顔を出してくることもあります。まるでそれこそが自分だと、本来の自分を取り戻したとでもいうかのように。

ただ、実際にはあるものは消えず、気持ちに波があるだけなのかもしれません。



あまり語彙のない人は、似たようなイベントがあると
「歴史は繰り返す」
などと恥ずかしげもなく言います。これは例えば螺旋階段で一階から二階に上がった時の感じに近いです。ぐるぐると円運動を続けているだけのようで、下を見下ろすか窓でもあれば外を見るかしないと、その変化には気づかないわけです。

正弦波をとってみれば、こうした螺旋の動きをわかりやすい波と認識できます。今は悪い時(波の底)なんだとか、今は乗れてる時(波の頂上)だなんてのもビジュアライズすればこんなものです。

一方で、例えば山登りなんかをしていると、一定のペースで螺旋を描くことは稀だとも思うのです。頂上に近づくにつれ螺旋の周期は短くなります。人生の螺旋も自然環境と一体として考えれば、同じペースではなく収束か発散に、つまりは凪いだ人生か激動の人生かということになります。


山も階段も上れば降りますし、時間軸で見れば良い時悪い時が均等に存在しない可能性も十分にあります。よく運などと言われるのはこのレンジにどれだけ良い時が入っているかだと言って良いと思います。ある人は528hzと同様に、運が良くなる波形というのもあるのではと言っていました。

ぼくは良い人生とはこの運が良くなる波形への接続を意識することが9割だと思います。なんてことを言い訳にあまり努力をしないのでつなぐ力が圧倒的にないんですよね。車でもクラッチ繋がないことにはその名の通り空回りですから
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