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ダメな理由を言わない理由

学生の線上では大概のことに説明がつきます。校則からテストまで一応良い悪いという理由を明確にしています。大学はある意味半分成人なので曖昧な面もありますが、社会()は説明責任が甘いのは間違いありません。

甘いというと語弊がありますが、言わなくてもいいでしょとしていることが多いのであります。就職面談の結果やクレジットの審査などがそうですね。はなから落とした理由は聞かないでくれとしています。

別にそれはその人の勝手といえばそうですし、量が多すぎて手に負えないのも確かです。あなたはここがダメ、ここを改善しましょうなんてのは大人のやりとりではないでしょうからね。



そうはいっても、結局のところ何かしらうちうちに基準があるわけです。数字とは言わずとも明文化できるものがある以上、最終的なシステム化は避けられません。めんどくさいけど代替できるというのはロボットの大好物です。じゃあ何でそうなってないか

そこに関わってる人の意地ですよね

ぼくなんかだと極めて飽きっぽいので、面倒だけどしがみついてないといけないことなんてとっとと捨てます。それが自分に不利益だったとしても、しがむ時間がもったいない。理由を言わないことで自分に役割があるとか、その精神的な負荷の方がしんどいように思うんですが、社会はそれを耐えるように教育されるのでなかなか転換しません。

一問一答に慣れてきた現代人の最後の砦ですからね。検索すればほとんどの過去はクリアになり、SNSを使えば人の行動も時間を置かず把握できます。簡単にわかると価値が下がっちゃうのです。

反面わからないものの価値というか、重みというのは増して、今日のUK的な事態が起きやすくなるわけです。クリティカルデイまでは期待と不安を織り込みつつ、世論に近いところで推移。規定ラインなら上振れも軽微、しかしそうでなければパニック。ある意味リスクは限定的とも言えますが、情報に踊ってる人にとってはクライシスでもあります。

こういう時には激流の圏外にいるのが普通の人にとっては安心でしょうけどね、チャンスを掴もうとしてる側からすると掴めきれなかったことが悔やまれてなりません。こういうところのヘタレ具合とはなかなか如何ともしがたいです。

そう思えばダメな理由とは自ずと理解しているもんなんでしょうね
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