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何かを「する」スタンスの人と「しない」スタンスの人

梅雨に入ったという情報に反して空はとても明るく、あの湿気った落ち着きに浸れないことに少々の残念さを感じています。近所の神社を歩きながら頭の中で雨の慕情を流すのがぼくの楽しみ方だったんですが
まあそれはいいとして

こう晴れていると、夏の本格的な陽射しが降り注ぐ前にお外でバービー(BBQ)でもしたい気分になります。そんな中、準備や片付けがスイスイできる人は株価上がりますよね。勝手知ったる人であればなおのこと、初動でも気がきく人は地頭がいいんだろうなとか想像します。



大学時分、研究室の引っ越しだなんだで荷物を片付けている時に
「仕事ができるかどうかは引っ越しの手伝いさせればわかるって言ってたよ」
と教授が言ったもんで、素直なぼくはああそういうもんかと納得していました。

確かに、先回りしてどんどんタスクを処理する人は仕事ができるのかもしれません。実際フェーズごとに出会った人を見ていても、できる人できない人というのは明確に分かれています。

ただこういう現象を見て
「あいつはいい大学出てるのに仕事ができない」
と言い出す人が必ず何人かその組織内に現れます。もうあるあるすぎてなぜそうかということを言語化しないといけないのかなあなんて気になります。結論から言えばこの類の人は仕事 = 作業なので、かくあるわけです。

もっと言えば職域の違いであり、原則的には付加価値の提供による交換が成立すれば仕事と言っていいはずです。あるもの、言われたことを処理する側というのは使われる前提の人なのです。これがタイトルにある「する」スタンスの人ということです。

肉もひとしきり焼き終わりました。網を上げて洗い物してゴミを処理します。それぞれ分担していけば何かしらやることがあって、あまる人は出ないと思っています。「しない」スタンスの人はあまるものと思っていますし、やることは「する」スタンスの人がやるんだから、自分の役割は別にあると考えます。これがクリエイティブクラスの仕事で、「する」スタンスの人が理解しにくい部分です

昨今、遊びが仕事になるケースがわかりやすく増え、いよいよ転換期が来るのかそれともといった感じですね。
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