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止めたいとこに止めれないこんなど田舎じゃ #ポイズン

田舎の良いところは、途中下車感覚でなんかあったらその辺に車が止められるところですよね。シーズンの観光地は別にして、見晴らし良いからちょっと降りて眺めてようとかできるわけです。まあ逆に言えば都会だと目的持って移動してるからそんなぶらりしないんでしょうけど。
よく郊外と言われる場所、定義はいまいちわかりません。俺の中では一定時間以上止めると有料化する駐車場があるところはそう定義していいと思います。

都会は駐車場がそもそもないとか、あってもえらい高い料金がかかるわけです。田舎はアクセスの悪さと引き換えに車ぐらいはタダで停めさせてくれるところが多いです。電車とバスで目的地につけるなら確かに車でなくてもいいので、あえて車で来る人からは金を取る理由も十分です。

途上国だとインフラどころではないのでそもそも駐車場なんて概念まで行ってません。そういう意味で、田舎とは平行世界でもあるのです。

おれはニュータウン的なとこを見つけると、その側面を歩いて過去との境目を見たくなります。まあよく言えば古地図で現代を歩くあれと近いです。急速に発展する土地の歪みは芸術にも似た悪魔性が見えるんですね。
永遠のナギ節。それが足元から 崩れていくような気がして
感情的にはこれに近いです。壊れるために築き上げたと言わんばかりのコンクリートの壁。すごいグッときます。田舎じゃなかなか壊れることに感動しないですからね。季節で花が散ったりするシクリカルなものと違って、一度壊れたら次はない感じ。これが重要です。

最初にそう思ったのは小学校の時でした。校舎の建て替えが始まって、多感な10歳前後の少年はその短い時間触れたボロい校舎を懐かしんだんですよ。ただ、いざ新しい校舎になるとそこに未来を見るんです。木造から鉄筋の差で、時計の針が進む風景とリンクなんてしちゃって。これは面白いと。

自然の緩慢さと人工の拙速さ、特に、日本なんて伝統やレガシーと口にしても実際は物に一番執着がないですからね。あると見せかけて実は壊されるのを待ってる国民でしょ?賽の河原で石積んでる誰かのごとく。そしておれはその石積みをガラガラする鬼
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