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決断の回数と内容

ぼくは何かを決めるのがあんまり得意ではありません。優柔不断というよりは、そこまでこだわりがないものを決めるのがめんどくさいと思ってしまうのです。すごく良く言えば、名だたる経営者が決断にかかるエネルギーを減らすため、服で悩まないように同じものを揃えたりするアレと一緒ですね。

一方で松岡修造いわく「即断即決が世界を取るためには重要である」ということもなんとなくわかります。

あてもなくドライブしててもこっち曲がろうとか、外で遊んでて今晩何食べようとか、どのプログラミング言語使おうとか、こういうのってキリないんですよね。すごい大事なんですよ。その積み重ねが今ですからね。今の自分を見れば適当に選んできた結果なんだろうなってのはわかります。

ただ、こんなものは決断によって何かが変わったのではなく、決断した物事にちゃんと向き合ったかということだと思うんです。振り返ってみても、ぼくは大概の決断において希望通りに行えていません。それはその時々の努力不足であり、決断のたびに腐っていたからであります。

決まってしまったものはしかたがないので切り替えて、という潔さがなかったんでしょうね。まあ今もありませんけど、以前ほどなにか決めることに重きを置かなくなったのはいいことなのかなあと思います。

ほんまはあかんねんで

性格的に、動き見てから軌道修正したほうがあってるんでしょう。どっかポイント決めて疑いなく向かっていく熱はありません。後戻りできないゲームとかも苦手でしたし。決めることによって明確になることに心地よさも感じないのかもしれません。

ややこしいですね

そんな中にあっても唯一後悔していないのは、そうしてきたことで確実さにしか賭けられない人を身の回りから排除できたことです。明確さと確信で履歴を見れる人は安心と信頼があるわけですが、ぼくにはそれがありません。おもしろいことは知らない分からない先にある可能性の中にしかありませんからね
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