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細部の出来が良くなることで作品に起きたこと #FF

皆さんファイファンやったことあるよね。当然。

え?エフエフっていう派

まあどっちでもいいけど、そうやって何か確立しないとこもいいとこだよねえ。かつてのアスース / エイサスいや実はエイスースですみたいなのと一緒で。

その点ドラクエって
なんの含みも無え。ちなみに俺はドラクエやったことありまへん


最近どっかのおっさんだかが、最近のFFはボタン押して映画見てるだけみたいなディスりなんだかよくわかんねえ発言をして、界隈をにぎやかしていたそうだが。

あっそう、って感じ

いや要は何が言いたいかって、センスの配分がそうしてるってことだよ。

例えばさ、俺FF6以降セブンとイレブン以外のサントラは全部itunesに入ってるんだけど、聴いててすぐピンポイントのプレイ映像浮かぶのって6くらいなんだよね。それは他のゲームの印象が薄いとかではなく8あたりからは音楽のクォリティがすげえ上がってるからだと思うわけ。だからと言って6は音楽のクォリティがゲーム並かというと全然そうは思わない。むしろあの限られた音でよくあこまで仕上げたなと思うくらいである。

音楽のクォリティが上がると、脳の活発な領域が音に向く気がする。つまり、6くらいだとまだゲーム音楽の延長に乗ってるんだけど、10はそうじゃなくなってる。10の音楽はもうそれだけで物語が成立している。その結果、脳が本来ゲームに傾けていた熱を少しバランスする形になったのだ。これをつまんなくなったと、認識している可能性がなくはない。

だってさ、見た目がタイプの女っていうのがいたとして、見た目も性格もいい女が並びでいたら褒める配分は、前者は見た目100後者は見た目性格で50づつってなっちゃうよ。本当は同じくらい好きな見た目であってもそこ崩すわけにいかないから。

そりゃあさ、高品位による開発コストの増加って面も語られるとして、つまらなくなるのと直結はしないよね。実際面白いと思ってる人も増えてるから世界で販売数も広がるわけで。

まあ俺は一本道でもやり込み要素が薄くても、ああいうドラマみたいなの結構気に入ってるから。下手にゲームゲームするような要素が増えることには後退を感じてしまうかもね
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