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ミニマル化とは欲の相対化である


昔欲しいなあと思ってた車は15年も経つと大概手が届くほどに値崩れしていることが多いです。そしてテクノロジーの進化で、同じような仕上がりの車がもっと安く手に入ったりします。これの繰り返しによってシェアが有効になり、最新のものを眼の前で手に入れるというポジションと二分してくるわけです。

車以外でもそうです。カメラを含め家電の進化と値段の下降ペースは年々早くなっています。買いたい時が買い替えどき、という名台詞が昔流行ったように所有を維持することによる満足感は長く続きにくくなります。

そんな中で果たしてあれも欲しいこれも欲しい、もっと高いものもっといいものというモチベーションが維持されることは難しいです。待てばこなれてくる、そして枯れてきたあたりで買えば十分満足なものが手に入ると知ってしまっています。

人は目新しさにこそ金を払い、それこそが経済のアップサイドなんですが、常に同じペースでことが進まないのです。この20年で特に最適化という点では貢献してきました。パソコン、スマホ、クラウドと枯れ具合とともに人の手に普及しました。

そこに来てのミニマリストです。究極ものを持たないと。ただ、これもシクリカルですよね、ただの。実際見たわけでもないですが、社会の資料集によれば江戸時代の家もあんまりものはなかったですし。その前も、そのまた前もあんまりものは持ってなかったです。今更持たないことを云々言われても歴史的には持ってない期間の方が長いわけです。

みんなが持てるだけの供給があるからといってそれを持つ理由にはなりません。そうやって拡大させた経済は持つ前提で成り立っています。持たない方向へトレンドシフトすれば今度はそれを前提に経済を考える必要があります。メディアで「離れ」が叫ばれるのはそのメディアが「離れ」によって損するからです。

ただまあそのメディアを見てる人は離れ世代じゃないのでこの流れはしばらく止まらないと思いますけどね。
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