仕事における責任の位置付け
どうしてもやらないといけない一部の仕事においては、その所在を明らかにすることで責任の地位は上がると思っている。仕事ではなくとも、経験とともに責任の範囲は広く重くなるように思えるが、その掛かり方はリニアではない。
責任が重大になればなるほど報酬で報いるというのはある種リニアだからできること。では一時流行ったr > gでいうところのリターンがとても大きい人はそれほどの責任でもってバランスしているかというとそうではない。つまり責任でリニアに対応できるのは限界があるということである。逆に言えば非線形になっていくところからは責任ではなく例えば付加価値で見ていかなければならない。
責任を負うほど楽しみも増えると言ってた人がいたけれど、まだこういうことでもって報いれる範囲にいると言っているようなものだ。本当に言葉で全てを言い表せているかは定かではないし、何か副音声で言っていたのなら読めなかった俺の浅さだろう。
しかし、やたら責任責任なんてものを振りかざす裏には、その言葉でもって守りたい既得権があるはずなのである。自分が一番とりやすいポジションをさも一番重要であるがごとく見せるのは安い人間の振る舞いだ。いかにもアップサイドがない。
ユーチューバーになりたがる小学生が多いという。ここで言えば行き過ぎた動画に対しての責任と、これまでにないコンテンツの提供というアップサイドがある。アップサイドを上回る責任の発生が仕事の失敗であるけれど、トータルで見れば世間は価値提供を受けているとも言える。
しかし、責任の発生がなくアップサイドの発生もない場合、当人におけるコストの発生で個人的にはプラスにこそなれ、世間的には何の利益もない。守る状況というのがこんなことであっても、一度責任などといえばそれらしい義務感を持った人間にでも映るからややこしい。言葉の持つ意味と効果はケースごとに考える必要があるわけだ。
責任が重大になればなるほど報酬で報いるというのはある種リニアだからできること。では一時流行ったr > gでいうところのリターンがとても大きい人はそれほどの責任でもってバランスしているかというとそうではない。つまり責任でリニアに対応できるのは限界があるということである。逆に言えば非線形になっていくところからは責任ではなく例えば付加価値で見ていかなければならない。
責任を負うほど楽しみも増えると言ってた人がいたけれど、まだこういうことでもって報いれる範囲にいると言っているようなものだ。本当に言葉で全てを言い表せているかは定かではないし、何か副音声で言っていたのなら読めなかった俺の浅さだろう。
しかし、やたら責任責任なんてものを振りかざす裏には、その言葉でもって守りたい既得権があるはずなのである。自分が一番とりやすいポジションをさも一番重要であるがごとく見せるのは安い人間の振る舞いだ。いかにもアップサイドがない。
ユーチューバーになりたがる小学生が多いという。ここで言えば行き過ぎた動画に対しての責任と、これまでにないコンテンツの提供というアップサイドがある。アップサイドを上回る責任の発生が仕事の失敗であるけれど、トータルで見れば世間は価値提供を受けているとも言える。
しかし、責任の発生がなくアップサイドの発生もない場合、当人におけるコストの発生で個人的にはプラスにこそなれ、世間的には何の利益もない。守る状況というのがこんなことであっても、一度責任などといえばそれらしい義務感を持った人間にでも映るからややこしい。言葉の持つ意味と効果はケースごとに考える必要があるわけだ。