Header Ads

音に感じる温度や質感

ピアノの音色を聴いてると水っぽいイメージが湧く。同じようにハープ、マンドリン、木琴も水っぽい。それらによって奏でられた曲に水が関係してたという刷り込みも考えられるが、それだけではないように思う。

具体的には一音一音が水気をまとって俺の耳に入ってくるというか、例えばレならレという音の塊が湿って飛んでくるような、そういう感じ。

他にも、シンバルだと砂をまとい、バイオリンだとベロアをまとってる。吹きもの関係は日差しのような印象があるし、太鼓は弱い火に包まれている。

だから、楽器の組み合わせである程度曲の映像ができてしまう。そこに映る景色が好きか嫌いかというのが曲の好き嫌いにも直結する。ただ、ゲームのサントラやなんかだと、同時に映像の情報も持ってるわけで、そういう場合はやはりそっちにひっぱられる。

共感覚のような立派で強い相関を持ったものではなく、もっとゆるい連想。バナナと言ったら黄色い程度のマジカルさ。いや、まじ軽さ。

脳のあれこれが適当な配線をして脱線を繰り返してる、その副作用的な。

逆に、声はその音による景色をいかに邪魔しないかということが重要視される。むしろ極力ない方が失敗は少ない。稀にすごくフィットした声もあって、そういうのに出会うと感動する。女性ボーカルは男性ボーカルに比べてハマりやすい。聴くジャンルにもよるのだろうけどね

受け取るアンテナの形は多様で、多くのものへリーチできる音楽が存在する一方で一部にファンを増やす音楽もある。歌詞とはポピュラーへのはしごみたいなもんで、わかりにくい絵を受け取っても解説してわかるように促す効果がある。共感できるというのはそういう意味ではとても直接的すぎて俺は面白味を感じない。

宗教画や、神話を語る事で同じ教養を共有するといった間接的な表現ならいい。これはワインの講釈にも同様で単にうまいとか甘いなどとは言わない。

こういう目に見えない部分をうまく伝えられるようになりたいものである
Powered by Blogger.