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適性検査は出口であって入り口ではない

毎年恒例のニュースがつまらなくて仕方ないどうも僕です。むしろこのフレーズに今更感と恒例感がなくもないわけだけどそこはひとまず置いといて。

誰もが一回くらいはやったことがあるだろう適性検査。適職診断とか、まあいろんなバリエーションもそれに含め、ああ自分はこういうのが向いてるのかと思う一方で、そんなことは言われなくてもわかってると感じることも少なくない。

かくいう俺も何度となくそんなものをやったことがあるけれど、あれを信用して例えば自分が研究者に向いてるからといってもなりやすいかどうかとは別問題である。どれほど周りが向いてると言ってたとしても真に受けてはいけない。

適正通りで自分の道が決まればそれに越したことはないが、アニメのサイコパスでやってたような問題も考えられなくない。

そもそも平均的なところでは、たいしたトラックレコードもないまま実務でやっていくケースは少ない。公務員の大半はそうだが、よく新卒なんか採用してるなといつも思う。教師しかり警察しかり、学校の延長でやるリスクの高さよ。

逆に大学からの専門性の流れを汲んでの仕事というパターンもほんと少ないもんね。薄切りベーコンさんも言ってたよ。なんせ窓口が総合だから。適当にジョブ回して管理についてハイハイみたいな。そら専門性もクソもねえよ。職域と職能がステップになってんだもの

これがさ、適性云々となるとじゃあどこに効いてくるんだって話で、プログラマー向いてますとか言われてなってもずっとコード書くわけでもないんでしょ。知らんけど。結局カテゴライズの雑さと実務の範囲の食い違いで合わねえみたいな話になるんだよね。

可能性だからあくまで、選んだ自分の問題といえばそうである。しかしこういう類の検査って元も子もない話をすると作った人のビジネスなだけで、恵方巻きとか土用の丑となんら変わらない。当たり前のようにやるけれど効用は微妙なのは仕方がない。最後は人によるというのが大概のケースで成り立つ。

そこまで人のことを考えてるわけないからね、誰も。中途半端に仏教色が強いと人のことに構ってるのがいいことみたいになるからよくない。神を信じてる人々は人のことは神頼みだからその辺楽でいいかもな
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