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よく覚えてるねっていうけども

記憶のパターンって癖があると思うんだよね。俺みたいな適当な人間って部分記憶はすごくあるけど、必要なことをピンポイントに思い出すことは難しかったりする。

音感だと絶対とか相対ってあって、昔はすぐソとかラとかわかったんだけど今は頭で音辿らないとわかんない。記憶もそれに似てて、何年のいつの話とかはあのコミックの発売の前、あの車のcmの後と言ったように、レンジで絞らないとはっきりしない。

これの面倒なのは常に記憶が人の後追いになってしまうところにある。カウンターが得意なボクサーのようで、なんとも消極的な印象が傍目にはある。芋づる式のように、確かに一度出始めればどんどん思い出してくるのだが、ではなぜ初めから切り出せないのかと。

困った時は車で例えるのが俺の手である。重い車は出足が鈍く止まりづらい。要は記憶の断片が多いとはそういうこと。SSDでも容量が埋まってくると速度が落ちる。

圧縮とかベクターというか、とにかくもうちょっと賢い記憶の収め方ができないもんかと思うんだけれど、なかなかOSを入れ替えるほどの策は人間にはないようで。情報をアップデートするたびにロジックとかアルゴで補完していくのが精一杯なんだよね。

そこで連想記憶。ただ本来の意味合いとは違う。やることは自分でランダムに話を投げて、そこから記憶を辿る。全体像だけがあって時間とともに解像度が上がっていく感じ。

こういう人は具体的な体験といったり動的なものは比較的定着しやすいと思う。一方で、アニメのタイトル、人の名前、街の地理のような静的なものはスルーしがちになる。そういう意味ではパソコンの記憶傾向とは逆相関にあるとも言えるかな

しかし、こう身の回りに記憶するものが山ほどあると、全部とは言わないまでも、人が何を覚えておくかってちょっと考えるよね。カメラで写しときゃいいやとか、文章で残しとけばいいやって、そりゃその方が鮮明なのは間違いない。かといってそれが振り返った時のこんなのあったなあのためだったら別にどうでもいいかとも思ってしまう。

少なくとも俺の覚えてるって懐かしむために記憶してるわけではないはずだからねえ。結果的にそうなるのは今の自分の解釈がそうしてるだけだし。今の脳が記憶を感知して認識を返してるようでその時その場に感じた気持ちとは乖離がある気がする。

まあ、そういう時に自分って自分の実態からはみ出してるなあとか考えてみたりするんだって、だってだってなんだもん
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