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春夏物、秋冬物ってただのマーケット戦略だよね

この冬はしばらく温くて、先週末から今週あたりやっと本格的に冷えが来た。といっても雪がちらついたのも1日だけ、連日暖房も入れないしこたつも使ってない。朝方床が冷たいのが気になるくらいで、全然冬の感じがしない。例年ならベッドに敷いてる敷布団も毛足の長いものだが、もはや使う予定が立たない。

そうはあっても、幾らか冬物なんてものは店頭に並び適当に売れていくわけで。本当にそれは必要なのかと思うことも少なくない。ただ、多くの人は適当に不健康なので平年の惰性そのまま、自分の代謝を差し引かずに温めたいまま体を温めている気がしてならない。少し寒くなればエアコン。ほとんど我慢しない。

テクノロジーの進化はある種人の能力の置換であるから、取って代わるほどに人の能力は失われていく。そしてそれはムーアの法則ほどではないにしろ、一個また一個と止まることを知らない。

移動のたびに車を使えば筋力は落ち、落ちた筋肉は代謝が足りなくなり、末端に熱を届ける機能も失う。よく脂肪が燃えれば温いなんて言ってるけれど、筋肉がないと燃えないと思うんだよね。ディーゼルと同じで燃やすための余熱がいる。それが筋肉

ものとか技術で補完される体って激烈にカッコ悪い。マーケットの罠にはまるのも気分悪いし、そんな人間の言うことに面白味出ないもんね。知らず知らずに侵食されてるとそのままその人の習慣になるからあぶない。日本における火星法経も高須院長の策略だと言われてるし、常識なんてどれほどいい加減か知れたもんじゃない。

なもんで、人の悩みというか、目先の些末な問題は実は経済社会のほころびだったりする。そしてそれは裏にあるもっと大きな問題を見えなくするためだったりもする。怖いですー
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