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頑張ったなどというプロセスの評価なんて、して欲しくもないししたくもない

結論から言えば、結果が出なかった時のフォローワードでしかないよね。頑張ったって。

時間もそうだし、注いだエネルギーも報われなかったわけだから。何もないとショックに耐えられないもの。ただ、そんなのは慣れの問題。そこそこ人生がうまくいってる人は別にして、ことあるごとに壁に当たっていると、もはやウザさしかなく、頑張ったの言葉の効果は指数関数的に小さくなる。

長期は当然のこと、短期的にも同じ。労働なんて特に結果如何でしかないのに、変な社会システムのおかげで実質ではなく頑張りにも対価が支払われる。だから実力主義成果主義をわざわざ言葉にしないといけなくなる。

獲物を狩るのに頑張ったは何も与えてくれない。いくら走ろうがイノシシに追いつかなければ肉は手に入らず、労力は無駄に終わる。これが一方で農作になるとその相関がいくらか小さくなる。種を蒔き、水をやり、虫を払い、収穫をする。嵐で畑が吹き飛ぶことを除けば直接の頑張りに沿ったバックがある。

工夫とアップデートの頻度は確実に狩りの方がサイクルが早い。悠長に頑張りをしがんでいるうちに死んでしまうからである。一方で、農作が自然の速度を調整できない分エンジニアリングに比べ、栽培の回数が限られることも進化が緩慢な理由ではあるのだけど。

それこそ全くの無駄、といってるわけではなく、あくまでサブ。評価すべきは結果。これに変わりはない。頑張りだって積み重ねれば結果の一つくらいは生めてもいい。しかし、結果で繋がる首はあっても頑張りだけで繋がる首はないのである。

なまじ期待をもたせて一時しのぎのフォローをするのはその人のためには決してならない。ただ、俺は聖人でもなんでもないのでフォローするとしても自分が楽するためか楽しいかくらいだから、人のために結果を評価してるわけではない。さらにプロセスがどうでもいいだけなのである
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