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置き場所がなくなった時に次へ行く

小六の時だったか、ポケモンカードなんてのが流行って、フルコンプするまで買い続けたことがあった。カードゲームとしてはそんなに活用されなかったけど。そこからCD、DVD、コミックと買い始めたら揃うまでという習慣がついてしまった。

この習慣が終わるのは物理的な問題で、CDやDVD、本は棚がいっぱいになったら買わなくなる。昔はそれでよくて、コンテンツの保有という概念ではなく、あくまでものとしての所持がリミットをかけていた。

しかし今や何でもデータになって物理的な場所が問題にならなくなった。カニ見えた。

ハードディスク、相当な量を詰め込める一方で、その技術以上にクオリティの上昇が領域を圧迫し始めた。こうしてどこまで行ってもハードボリュームの改善のたびにソフトのボリュームが膨れる。

今やクラウドになってストリーミングと、シェアというかなんとも便利になってはいるが、結局どっかにサーバはないといけないし、流す回線が詰まれば不便なまま。いつも一手封じてはまた一手ということを繰り返している。

俺はそうやってちょうど欲しい技術にフィットしながら生きてきてしまったわけだけど、まずフィットしないで相当後追いに技術を享受する人がいる。こういう人とは何が違うのか。それは到達スピードである。

まずCDでも本でも買いまくらず、借りる。どうしてもなものだけは買うと、とても賢い買い物をする。部屋は圧迫しないし後悔も少ないのだろう。ただ、遅い。借りたら返さないといけないし、後悔がないから学習量も小さい。クソコンテンツへのストレスは良コンテンツ選別には欠かせないと思っている。

若いうちにそういう無駄を経験してこそセンスは磨かれるのだと、必死に自分を説得している。でも実際、良くも悪くも投資に比例するところはあると思うんだよね、教養ってなんでも。そういう意識が欠けると出すアイデアにも作るプロダクトにも前時代感が出てかっこ悪くなる。

今時、車にCDプレイヤーとか標準にしてるのは本当どうかしてる。前進むのが車の仕事なのにいろんな意味で全然進めてないよね
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