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コラボやカバーが成立するのはプロの証である

逆に言えば、プロのくせに既定ラインしか走ってないのは面白くない。

アーティストなんかは特にわかりやすくて、中世のパトロンに変わるのが現代のコラボなんじゃないかと。作品の消耗で稼ぐうちはまだしも、広がりがないと廃れるのを待つだけだ。伝統芸能や工芸が廃れやすいのは拡散手段の少なさもあったんだと思う。

例えば、歌舞伎はワンピースとコラボしたり、Yoshikiさんがキティちゃんとコラボしたり、マセラティがB&Wとコラボしたり、両者のブランドが強い場合のインパクトは意外性のギャップで全てが決まる。

ただ、意外性というのはブランド力もさることながら、社会的な位置の遠さも重要。最近だと、クラシカルなヴァイオリンでアニソンを奏でる人とか、俺的にはいいと思ってるんだよね。


他にも、サラオレインさんとか、主に関ジャニの某番組で知った人なのだけど、ああいうのはセンスいいと思うんだなぁ。なんせ、どっち方向にもリーチできるでしょ。俺みたいなどっち方向にもニワカな人間からするとすげえありがたいんだよね。興味あるけどとっかかりにかけるから。

で、そういうのへ目が向くきっかけになったのは元をたどれば西川ちゃんだと思う。TMRさんですね。るろうに剣心というアニメでエンディング歌ってた一方、声優もやってたことがあって、当時は声優に興味向くことはなかったんだけど、意外に感じた記憶がある。

FFX-2の倖田來未とか、XIIの葉加瀬さんと、界隈は拍車がかかり、今やすっかり当然の現象ともなってるわけだけど、基本はやはり本業の成熟度もあるわけ。(まあ倖田さんは逆かもしれないけど)

シャア専用系のパソコンや車は完全にイロモノの域を超えないのは、使い所のヘタクソさというか、コラボの主体にセンスがないという日本特有の問題なんだけど、それはメディアのスポンサードからある流れだからどうしようもない。それがハードのコラボならなおさら

ソフト、というかコンテンツの質がものいうわけだから、根本的に日本の苦手なところだよね。アレンジメント礼賛するくせに、アレンジする人間を目の前にするのが嫌いだからどうしようもない。昔からあったよ、その構図。仕切り屋が出てくるとクラス全体で「仕切るな」って言う空気。そういう空気を暴力とアイデアで駆逐するのが俺の役割だったね。一時期

ともかく、言えるのは現象一つとってそうなんだから、人の魅力も本筋だけではイマイチだってことだよ
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