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時間が解決してくれるのを待つために生きてる

Macが勢いついたのはipod以降という理解だけど、それでも窓派のシェアを奪うほどにはなっていない。GUIの登場から95の流れまで、パソコンが一人一個持ちになるまで2,30年あったことを思うと、昨今のタブレットへの推移は随分早い。

OSの垢抜け感で言えば2000年よりこっちはずっとリンゴだと思っていた。未だにキーボードデバイスを考えれば窓なんて選択肢はほぼない。しかし、デスクトップ環境とタブレットでOSが共通ともなると一気にそこが揺らぐ。

スマホのフリックができてもキーボードでタッチタイプができない、というのはそろばんや電卓のそれに近いわけで。入力速度が変わらなければなんでもいい気がする。俺の周りでもあの小さい画面でローマ字入力を使ってる割合はとても高い。ああいうのを見ると失礼ながら、レガシーにしがみつく精神性の表れだとも思う。

今の仕様に慣れてるからわざわざ使いにくいものを使わない的な。

CUIからGUIってそういうレベルじゃなかった気がするんだよね。変化が。スマホって液晶にボタンを表示させてるけど、ステップとしてはそこを登るわけではないだろうし。

新しい手順から遠ざかることに慣れるほど老化は進み、いつしか耄碌するもの。どんなに簡単にしても一生できない作業となるのは目に見えている。一度拒み出したら加速的。年賀状の作成サイトがあるけど、出す層のインテリジェンスにどれだけフィットしてるのかって思うよね。問題は操作性じゃない

武器や兵器に関しては簡単に使う人の問題とかいうのに、家電やアプリだけシステムのせいにするとか、どんなアルゴで動いてんのその頭

時間が解決っていうのは実は一方の話で、もう一方では解決を待たずに死んだから問題になってないだけというのは大いにある。受け身だと思って待ってるだけでは固有時は止まってるのと同じだからね。時間で解決するためには自分でその針を回すことはしないといけないのである。勝手に流れるなんてのは相対的な話。
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