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人のためという人の範囲

最近知り合いの若い奴が話していたのだけど、年金を払うにしても見ず知らずの人間に回さずに自分の親に直接回したほうがいい、そうすれば子供を育てないと老後の資金が枯渇するから少子化も解決、的な。

まあその通りだね。

というより、そもそもそんなところを誰かに任せる制度なんていらない。高度成長とか、経済の上向きトレンドを前提とした老人向けの制度だから現代人にはフィットしねえよ。

昭和の幻想のよくない一つに、豊かなこととは自分の手をかけないこと、みたいなのがあるように思うね。科学の発展途上にいたからオートメーションにコンプレックスがあるんだろ。自動ドアとかオートマとか典型だよ。無駄に店舗の入り口まで商品持ち運ぶのもそうだし、全然いらねえ。セルフも楽しめって、まったく。

自分で出来もしねえくせに偉そうなこと言って優越感じてるから利用されて絞られるんだよ。気付けって。誰かに聞くとか、手間とらせるのがどれほどコスト高になってるかわかってねえくせに、自分で調べることを端折るな。機械にアウトソースしてる意義とその効用がてめえサイズなんだよ。

人が人のためにしないといけなかった多くは現代の贅沢で、その代わりとなったものを利用する社会が前提である以上そのシステムに順応することはある種の義務なのだ。テクノロジーの進化は人に新たな進化の領域を要求する面がある。特に黎明期には。

電子化全盛の今まさにそういう時で、流れに乗ることこそ最優先。リスクに文句を言ったり知らんわからんなんてごねてる場合なんかでは絶対ない。変な平等がうるせえ中、その他大勢に答えるのが機械なんだけど、享受する側がポンコだとほぼ意味なさないんだよね。せっかくカバー範囲が広がってもまあ甲斐がない。
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