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疲労の向こう側

仕事で頭を使ってるからさらに頭を使うことはしたくない。疲れて帰ってきて、なおそこにトレーニングなんて考えられない。そうだね、その通り。現状維持では後退する一方である。

もう動きたくない、そう思ったところから筋トレって意外にできるもんなんだけど。やりたくない。疲れてるから休みたい。そんなのは当たり前の事。ただ、あるキャパの中でやりくりできるのはそのキャパが減らないと思ってるから。人は歳のせいにしているけれど、キャパの減少を止めなかったのは紛れもなく自己責任なのだ。

逆に言えば、もうちょっと頭を使う事に、体を使う事に慣れれば今までの事はたいした負荷でなくなる。

子供の時ってそういうもんだったわけで、大人の振る舞いを見るたびに腰が重いなあとかフットワークが悪いとか、何いつまでも休んでんのと思ってた。口は達者になってもそのみっともない姿は説得力に欠いていた。

よく、黎明期とか成熟期と言ったサイクルが人生にはあるというが、疲労期というもある気がする。なまじ苦痛に耐えることに慣れてると、その期間が終わった瞬間に果ててしまう。苦労の先取りとか言って頑張ったら後で楽できると息巻いてた人たち、今だにずっと頑張ってるよね。厳密に言えば耐えてるだけだけど。

根本的に楽しようと思ってないというか、レベル相応でストーリー進めてる感がすごいんだよね。そんなとこまで消耗してるのって。

自分というものを消耗しながら例えば仕事で何をアップサイドとれるんだと。頭も体も減って、そこに代わりの経験と何やらが埋まってもプラマイゼロ。構成が違うだけでバリューは一緒。メモリ差し替えても、ssdに変えてもコアが弱いと限界がある。

と言っても、実際追い込まれる状況で、死ぬかどうかくらいにならないと難しいよね
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