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一般に大変だと言われていることの実

たまに、親や奥さんの家事とかなんとかに感謝するくだりで
「自分がやってはじめて大変さが〜」
って言うよね。その人たちってそれどのくらい続けたんだろう。3日、一週間、一月、1クール、1年。

俺は4日も過ぎたあたりで「これ大変なのか?」と思った。洗濯や食器洗ったりなんて手間という手間はない。洗濯は洗剤入れてボタン押すだけ、食器もなんだったら同じ。俺は食洗機なんて使わないけど何もしんどいことはない

一月経ってもそこに変化は見られなかった。もちろん、家族の分やるから大変とか言いたいのはわからんでもない。
「一人分作るのも、四人分作るのも手間は変わらない」
ただ料理に関してはこういう話も聞く。

毎日仕事に疲れて帰ってきたとして、その上苦痛で仕方ない、なんてレベルには到底なりえないと思うのだけど。どうなんだ?もちろん、子供がいればそれに付随する不確定要因がかなりの面心労するのかもしれない。これに関しては俺にはわからないエリアなのでなんとも言えないが、そこで経験した事実をわざわざ「自分がやって(ry」と口にする意味は何?

まあこういったことによらずなのだけど、しんどいって口癖になってるだけじゃないのかと思う。そんなにしんどくなくても、今までしんどいって言い続けてきたから惰性で出る的な。俺もあるもんね、そういうの。ちょっと気温が高いと暑いって言っちゃう。

宗教に節操がないとは言いつつも、生老病死という形で日々にしんどいと言って仏教徒らしさを出すあたり、控えめでいいですね(棒
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