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リッチが持つる財布と言うのを僕も得てしがな #金持ちの財布

世の大概の、人の欲にリーチするものは小売りや流通の罠である。

昨今はバレンタインの経済規模をハロウィーンが上回ったという話だけれど、違和感はない。やはりチョコだけで出せるインパクトは限られている。対して、コスプレやそれに付随するお祭り騒ぎは金の巻き込みが激しい。何せカップリングがないところにまで訴求できるところは影響が違う。こういったイベントは人の多さがものを言うのだ。

さて、本題の財布である。

もはや長札こそ金持ちへの一歩と言わんばかりだが、本当にそうだろうか。まあ本気で信じてる人はそう多くないだろう。お金に好かれるためにお金の居心地をよくするとか、出て行きにくくするために頭から入れる的なの、なんだあれ。

原則から言えば、札の向きがなんでもいい、カードもありったけ、レシートも一緒に、というのは基本的なメンタリティとして問題がある。それを置いておける粗雑な人間性では金も寄ってきにくい、というのもわからなくはない。仕事でも人間関係でも遊びでも、そういう意識が出てるから結果的に、みたいなのは相関としてあるのだろう。

ただ、財布の環境一つ変えてもそこから所作に上がってこなければあまり意味をなさないと思うんだよね。何せ日常の立ち振る舞いは生来のものだから

で、実際、この情報飛び交う現代では声の大きさが信頼性になってるケースも多く、代々の金持ちではない人は金持ちになるソースとして、長財布を手にすることが増えている。これはテレビや雑誌で、成り上りは長財布を使ってると伝えられたからに他ならない。

一方で、代々の資産家はテレビには出たがらず、財布も見せびらかすことなく、その情報は見えてこない。かくいう俺もそこまで多くの金持ちを見たわけではないが、初代は長財布、二代目以降は二つ折りやその他というパターンが大きような印象だ。年収の何パーといった設定にも無理があって、グーグル先生の第二検索ワードでは200倍と出たが、一億の収入の人の財布、50万なわけねえよ。

少なくともその辺でどこまでの資産規模にリーチしてるかばれるわけで、あくまでサラリーを得てる層にリーチしてる話というわけだ。まあ多くの人にとってはそれで十分だから流行るんだろうけど、逆説的に言えば財布の価値ってその程度なんだよ。エンタメっていうか。

あと、海外では安全上選択肢として長財布危ないみたいなところもあって、そんなところまで日本はガラパゴスなのかと感心すら覚えそうになったよ
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