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言葉のイメージと色

この間、クリーンディーゼルが話題になっていた。クリーン〇〇というと、何とは無く緑をイメージカラーに持ってくることが多い。別にクリーンとグリーンが似てるなんてことはなくて、クリーン = 自然 = 木 = 葉っぱ = 緑といった連想の結果なんじゃないかと。

ただ、全く影響がないのかというとそうでもないかも。そろそろ秋だなあなんていうと赤をイメージする俺がいて、もちろん紅葉の赤からなのだけど、あきとあかがなまじ似てるのがなんとも。

で、これは共感覚なんてのとは違って後天的に影響を受けるものだろね。だから街に育って石畳に暗い空が秋だと思う人がいればそれは秋 = 灰色となる。

一方、共感覚ならずとも、字面や数字に色のイメージを持つことがたまにある。8が黄色、Vが紫といったようなパーソナルな感覚。全然意味はわからないんだけど、頭に浮かべる時その色に塗られている。それも固定されている文字とそうでない文字があって、差はやっぱりわからない。

大づかみにいえばこれが発想というのかもしれない。連想ほどにロジカルではないし、脈略もない場合が多い。意識的に着色できるほどパターン化されてない分、リラックスしてるときのほうが浮かびやすい。

ただ、自分が嫌いな文字数字にはあまり好きではない色を持ってくる傾向はあると思う。従って、根底にはそれに近いアルゴが動いてることは想像できるが、なぜ必要でもない着色がされるのかは気になる。脳が着色した方を理解しやすい設計で作ってあるならそれはそういうものだろう。

語呂合わせのような、すでにあるデータに関連づけることで情報を残しやすくする例もあるし、考えられなくはない。しかし、頭のことを頭で考えるにはどこかアクセス制限があるようで、いつも適度なところで止めてしまう。果たしてこれは脳のデザインがそうさせているのか。さっぱりだ。ちなみに、さっぱりは黄緑で脳内表示された。
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