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積み重ねと、最後のトリガーを引くことの意味

普通の人が犯罪者になることも、平時の行動がおかしな犯罪者もそこに多少はない。ただ人は、普通であることに期待を持ち、異常であることに懸念を持つ。だから異常な人の方が犯罪を犯すと考える。しかし現実はそう単純じゃない。

犯罪者の個性という言い方が正しいかはわからないが、つまりはそういうことである。

個性ほど多様でわかりにくいものはなく、個性全盛の今、個性に求められるものもハードルが上がっている。そんな中にあって、共通項の欠落は批判の対象になりうる。

どういうことか。例えば、自分の得意不得意の分野について。手先が器用であるとかなんとかはアップサイドの評価である。しかし、挨拶しないとかしゃべり方が拙いみたいなことはダウンサイドの評価になる。そして、ダウンサイドをなるべく小さくしないとアップサイドは評価のステージにしか登らないこともある。

これの一番の問題点はどんなに素晴らしい技術を持ってても伸び代が少ないところだ。人によってはおはようやお疲れをいうだけでも苦痛に思う人だっている。それくらいできるだろという”それくらい”の前提ははっきりしない。なのにそこを強要することで本来得られるパフォーマンスのアップサイドを享受できないこともある。

中には全部できてしまう人もいるが、大概のコミュニティではお互いに補完し合うことで間に合わせている。そこが本当に分かってる場合、合理性から言えばできないものに無駄に時間をかけず、誰かが代わりをするのが最適なのだ。

そんなことまでやってられないとか、そういうことを言い始めるのは職域という概念の希薄化が影響している。明確な人選がないままなんでもあれこれやりつつステップアップとは笑止。低い山の尾根伝いをうろついてるだけである。山は一度決めたらそのルート以外では登れない。まして高い山ならなおのこと。

ここでいう積み重ねとは同じルートに人を貯めることであり、トリガーはそのルートが崖崩れに遭うことである。なんでも満遍なくな人が集まった集団は、聞き慣れた表現で言うカゴに入った卵である。せーので全滅は避けられない。

リスク回避は本来リスクパリティでするべきだが、その割り当てを上手く出来ない代表が上記に述べたことである。


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