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競技場、強行採決、リスクの神様 #責任is何?

自分の話すことでも人の話を聞く時でも、おれは主観と客観で言えば主観を優先します。なぜならそこに嘘はないからです。世の中的に、コンプライアンスの声が大きくなる昨今、自分の発言が招く損を意識せざるを得ません。そうすると人は損をしないようなことしか言わなくなります。それだと特定の誰かと話す意味も聞く意味もありません。

責任といえば、大人になる程自分にかかってくると思ってる。しかし、ほんとうにそうでしょうか。確かに、子供と呼ばれてるうちは自分の親なりなんなりが責を負っていました。その分は自分で負わなければいけなくなります。ただ、分散や移譲ができるのも大人なわけです。

会社組織で起きる個人の責任もある面では会社がカバーしてくれます。だからトップダウンでこれは責任を取れるこれは責任を取れないと上役から通知が来る。このバッファの大きさが組織の強さだったり人的な優秀さだと思います。

とはいえ、責任という言葉の便利さにかまけて、末端の人間に対し、やたら責任の所在を明らかにしたがる無能も多いわけです。リスクの神様というドラマ見てても思いました。スケールを変えればこのレベルの話はどこでも発生してるなあと。

例えば警察もそうです。速度違反は結果を取り締まるわけですが、事前に速度を抑えるというプロセスは踏みません。事故を減らすという名目があるなら既に速度が出てる車を抑えても意味ありません。もちろん、まったくとはいいません。ほぼないだけです。結果にコミットしたいなら、法律で速度の出ない車しか売れないようにする方が効果的です。

法で言えば強行決済がー、というのもなかなか嫌な映像を流していました。だれもかれも自分の意見のくせに、いざ口から出るのは「国民の意見を無視してる」。見えざる数の盾を使っています。多数決の政治に押されたことを嘆く割には自分も同じようなテクニックで応戦するんですね。

世間の声にしても他人のことは言ってられません。自分の言葉に説得力がない人は「みんながこういってる、みんながそうしてる」と、大概言います。政治家は国民を反映した鏡である、まさにその通り。

責任の行方を追えば何かなした気になって満足している、そんなニワカはひとりふたりではないです。
多額の税金で建物が建ちます。
要りません。
誰が企画した。
この人です。
叩きます。
....
で?

時間の無駄ですね。議論してる時間で、もしかすれば1000億円くらい資金調達したり稼げたかもしれないのに。前に進む行動は何もしない。ほんと暇ですよね。だいたい暇な俺が言うんだからよほど暇なんだよ。そんな思考の人間って。
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