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やらない人にやれっていうだけの簡単なお仕事

大概の人は自分は精一杯やってると思っています。日常生活でも仕事の中でも。だからついつい自分が優位にあると感じたら、劣ってると見れる人を批判するわけです。なぜあいつはちゃんとしないんだと。

おれはかつて指導者として優秀だなあと感じた人がいました。その人は一般的にダメとされる人にとても寛容な人でした。ボーイスカウトの隊長だった人なんですけどね。団(地域ごとのまとまり)の中でも一人か二人は平常値よりか異常にできない人っているわけです。班に分かれて行動しててもいっつも班で馬鹿にされるような人です。

しかしその隊長(以下Kさん)だけはダメな子に対し
「しゃーないのぅ?一生懸命やってんがななあ?」
と、できないことを認める発言をしていました。おれは当時14とかでしたが、この人は他の一様な(できない人に怒る)大人とは随分対応が違うなあと思いました。

それまでは"出来ない=怒られる"という発想しかありませんでした。怒られ倒してたおれは怒られた記憶は薄いですが、その場面だけは凄く記憶に残っています。そしてボーイスカウトって本来はそういう行為の中にあるんじゃないかと感じましたよね。

隊長、副隊長プラス何人か大人が指導に当たるんですが、おれが優秀だなあと思ってたKさんはその大人たちには煙たい存在だったみたいです。設定がドラマみたいですね。おそらく、大人たちは普段社会の中でずっと均衡を保って生きてて、いざ週末にボーイスカウトに参加してもその延長で行動してるんだと思います。そこにきてKさんはその均衡を破るような存在でした。

こういうことを言いたくはありませんが、Kさんをはじめ、比較的まともな(できない人を受け入れられる)指導者の子供さんは社会的ステータスの高い人ばかりでした。一流と呼ばれる学校や会社に属しているということです。Kさん自身もそうでした。もちろんそれが全てとは言いません

しかし一方で、不出来や粗相が起こるたびに適切な指導もおろそかに、叱ってばかりいる指導者の子供はパッとしない様が見て取れました。まあこの親だからそうだろうなって。

それは家族だけの話じゃなく、他のコミュニティでも同じ。無教養な人に教われば不勉強になるし、無能な人につけば損をする。同種の人間で固まり、代謝や流動がない場所にはこのような状況が多く発生します。なぜなら楽できるからです。

あれできてないこれやってない、それに対しやれっていうのは一番楽をしています。言い方変えたって一緒です。パターン認識なんて頭使ってないですからね。やれって言う前に何も思いつかないなんて残念です。まあそれが精一杯なのでかわいそうといえばかわいそうですが


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