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孔子さんは言いました。ものから入って何が悪い #論語意訳

子貢、仁を為さんことを問う。子曰わく、工、その事を善くせんと欲すれば、必ず先ずその器を鋭くす。

これが本来です。ちゃんと訳せば、
「仁を会得するにはどうしましょう?」
「大工がいい仕事しようと思ったらまず道具磨くやん?」
だもんで同じように自分を磨くのさ、となるわけです。

が、しかし昨今の世の中的には道具から入ることを良しとしない風潮があります。まずは借りればいいとか、シェアすればいい的な。所有を軽視しているとまでは言いませんが、持たざる様がかっこいいと思う人が増えています。

もちろん、もの買えばいいってもんでもないですし、実践が伴わなければ意味もないです。極端な話、武士が借りもんの刀で戦とか難しいですよね。いざ重要な場面で刀調達できませんとか、レインボーブリッジじゃねえんだから。

常にそばにあることで意識がそっちに傾くという意味でも、ものへの紐付けって大事です。俺はもう何年もゲレンデに行けてませんが、部屋にスキー板置いてたらもうちょっと行かなきゃなって、少なくとも思います。

この間、ドローン買ったところですけど、値段も値段だし、目の前にあったら飛ばしたいな飛ばしたいな〜って思うんですよね。これが一回借りもんで飛ばした程度だと、次はいつ飛ばそうかなってくらいに収まっちゃう気がしますね。

趣味として定着させるにもやはりそのくらいの使命感がないと続きません。スポットのレジャーとして単発の消費を目的とするならそれでいいですが、それは趣味とは言いません。そしてその延長戦に◯◯離れがあるわけです。

聞いてなんとか、見てなんとか、やってなんとかというように、その都度ハードルを越えてたどり着く世界こそリアルワールドです。いつもおれは言ってるんですが、やってもないことを知識として知ってるだけのやつはそもそも同じステージにいない、ということです。ここでいえば、持ってもない人間が持ってる人間と同じとこから話をするなと。

かの養老さんもおっしゃっていましたが、形に残ってる「もの」だけですからね、信用できるのは。信用というか、そのものですし。いくら文献であったと書かれていても実物がないと意味をなしません。

そりゃあ確かに、人間というのも借り物ではあります。この世に生を受け死ぬまでの肉体は一種借り物の要素がなくはないです。しかし生まれてから死ぬまでに手放すこともありません。途中下車しない借り物は大事にしますよね、ほとんどの人は。要はそのくらい意識を保てないから借りずに持つ、ということなんでしょう。

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